▶アリババ(高22期 加藤 麻貴子)

1999年の晩秋のことでした。近所の友人から電話があり、”変な外人”が行政センターに来て困っているので一緒に行ってくれないかというものでした。その日は生憎の土曜日で館長は不在、職員はお休みで警備員のおじさんが一人で応対してお手上げというのです。

一緒に行くと狭い警備ブースに大きな体を折るようにして座っている”変な外人”がいました。事情を聴くと、2、3千円で宿を見つけたいとのことでした。そんな宿は思いつかず、警察に行って探してもらおうと提案すると「警察には絶対に行きたくない」と言います。きっと警察で嫌な経験をしたことがあるのでしょう。考えてみれば悪いことをしたわけでもないので、と警察の選択肢は消えました。

考えあぐねていると、彼は自分が取材された東北地方の新聞記事と手紙を取り出しました。オランダからの青年が自転車で日本一周を試みているという記事と知り合いになったおじさんの手紙でした。手紙には「この人は自転車で日本一周しているところで、とても善い人なので困っていることがあれば助けてあげてください。」と認められていました。

秋の日は釣瓶落とし、陽は落ちかけ薄ら寒くもなってきました。思わず「うちに来る?」と言うと、パッと彼の顔が輝きました。我が家は度々色々な国の人がホームステイに来ていましたが、行きずりの外国人は初めてです。もし悪い人だったらどうしようと一瞬頭をよぎりましたが、彼の人となりを証明する物もあったし、大丈夫と自分を納得させました。まず名前を教えてもらいましたが、とても長く発音も難しく言いづらいので呼べずにいると「アリババと呼んでください。みんなそう呼んでいます」

さて、自宅に向かって歩き始めてすぐに私は後悔し始めました。自転車に大きな荷物を積み、2m近くの背丈の坊主頭に薄汚れた半そでのTシャツに短パン、しかも髭を蓄えていました。まさに盗賊のようで道行く人にはじろじろと見られました。「アリババ」という呼称になるほどと納得しました。

家族みんなで夕食を取った後に彼の話を聞きました。

僕は幼い時から料理が好きでシェフになったけど、あと少しで最高のランクになるという時に、交通事故にあって重症を負い、治療とリハビリで6年近く入院していたんだ。ほぼ全快して退院もできたけれども仕事に欠かせない長期記憶を司る脳の一部が壊れてシェフの仕事に戻るのは不可能になってしまった。ママには入院中迷惑かけていたので、何とか自分で生きていこうと思った。

それで新聞社や雑誌社を回って旅行記を書いて送るので世界を巡る旅の費用を支援して欲しいとお願いした。幾つかの出版社が申し出を受けてくれたのでブリジストン(株)にお願いして自転車の提供と各地でのメンテナンスを無料でして貰えることになった。ヘルメットもアライヘルメットから提供してもらっている。それで世界一周の旅をしていて来日は2回目だよ。

時々危ない目にもあった。アジアのある国で坂道を下っているとトラックに追突され、荷物を奪われたこともあった。親切な顔で泊めてあげるというのでついていくと家には仲間が待っており暴力を振るわれ荷物を奪われた。危ない目にもあうけれど旅は生きるために必要だし、それに好きだからめげずに続けているんだ。

次は自転車のメンテナンスのために平塚に行くというので知人を紹介して送り出しました。

    ▶アリババ(高22期 加藤 麻貴子)” に対して4件のコメントがあります。

    1. 高22期 伴野 明 より:

      こういった冒険に近い旅行をする人がいるとは聞いていましたが、実際に遭遇されたのですね。
      その人の覚悟、というか無鉄砲さに驚きます。毎日毎日、「今日はどこで寝よう?、食事は?……」なんて事を考えなければならない。
      彼は人の善意に賭けているんですね。彼自身が「善」だから。

      それが見えたから加藤さんは彼を泊めることにしたんでしょう。
      「アリババ」の日本一周の夢が叶うことを願います。

    2. 和田良平 より:

      すごい話ですねえ。ビックリしました。私がその場にいたら、拒否したのではないかと思いますが・・・・。加藤さんはすごいですね。
      こう書いていたら、昔のことを思い出しました。大学を卒業した頃、高校時代の仲の良い友だち4人でと京都旅行に行きました。当初から考えていたことだけど、この途中で皆と別れて一人で行こうと考え、泊まるところは考えずに、みんなと別れて、気に入った哲学の道を散策。その内このままではまずいと考え、公衆電話でYMCAのホステルで宿を探したら、「満員」と言われ、困ったと交渉したら、近くに知っているところがあるから聞いてあげると。その後の紹介で、南禅寺近くの大きな個人のお宅を紹介された。当主は年配の方で、お茶の師匠だとか。
      一晩やっかいになりました。夜色々と話をしたら、逗子に知り合いがいるという話があったりしました。後にも先にもこうした経験は一度だけです。良く何も知らなかった僕を泊めてくれたなんて。ちなみに宿泊代は受け取りませんでしたよ。後日お礼を送った記憶はありますが、それでおしまいです。

    3. 高橋克己 より:

      アリババ君が先か、はたまた防大留学生のホストファミリーが先かは判りませんけど、加藤さんがそういう素地のある人柄であり、また加藤家がそういう家庭であるのでしょうね。
      ところで、一番興味があるアリババ君の「今」を知る術はないのですか?

      1. 加藤麻貴子 より:

        残念ながら知る術ははありません。一期一会の出会いでした。98年からが防大の学生の受け入れです。多分私が多言語を自然習得するクラブに所属しているので異国の人と話したくてそのような機会を作っていたのでしょう。
        同居の義父母は困惑する時もあったと思います。親戚も多く客も多かったので少し毛色の違う人が来たと受けとめてもらいました。当時は6人家族、一人二人食事する人が増えても支障はありませんでした。それに外国人が泊まると家族の中に一陣の風が吹いたように各々の有りようが日常とは変わるのも面白いことでした。
        事故の後遺症なのか動きがぎこちなかったアリババのことはどうしているかと時々思い出します。

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