▶横須賀高校の鬱金桜(うこんさくら)のお話

母校の吉野桜が満開ですね。4月8日の入学式は記念写真を撮る親子連れで賑わったことでしょう。正面玄関右の植え込みに1本の鬱金桜(うこんさくら)があることをご存じでしょうか。ソメイヨシノが散りはじめる4月中旬過ぎに、淡い黄緑色の花を咲かせます。

横中26期生が、昭和48年9月に同期の戦没者や物故者の慰霊祭を曹源寺で挙行した際、母校に慰霊碑を設け、記念樹としてヒマラヤ杉を植えています。当時はA棟東プール横にありましたが、長い歳月と校内環境の変化、排気ガス等で傷みが激しく、痕跡を残すのみとなっていました。

この鬱金桜は、記念樹の枯死を杞憂されていた諏訪部泰樹校長により平成23年9月にヒマラヤ杉の代わりに現在地に再植樹されたものです。花木の選定を一任された諏訪部先生は、花言葉に「高貴の心」の意味がある「鬱金桜」を選ばれたのでした。植樹場所も吉田庫三初代校長の銅像の近くとし、「将来伸びるであろう枝の桜葉で蔽(おお)いたい」との心温まるお言葉を、植樹の時にいただいたという逸話も残っています。

後日、お礼に訪れた朋友会の松尾裕夫代表幹事に「大きな苗木を選びましたので、来春は咲くと思いますよ」と楽しそうに語りかけていた諏訪部先生は花を見ることなく5ヶ月後の2月に急逝されました。 鬱金桜は先生が亡くなられた平成24年の4月中旬に数輪の花をつけました。これは、その時の写真です。今年はもっと多くの花を咲かせてくれることでしょう(4月7日 高10期 上田 寛)

横高の吹奏楽部の定期演奏会がありましたので母校に寄って鬱金桜の写真を撮りました。昭和46年6月に横中26期生が建てた慰霊祭記念植樹の石碑、平成23年9月慰霊祭記念再植樹の鬱金桜の案内板もありました。鬱金桜は立派に育っていて、今年も、この時期にしっかりと鬱金色の気品ある花を咲かせてくれていました。この鬱金桜をご覧になったら、花を愛する横須賀高校の心温まるお話を思い出していただきたいと思います。(4月13日 高25期 廣瀬隆夫)

【豆知識】
<河童のマークでお馴染み「黄桜」の名前は鬱金桜から>
京都伏見にある酒造メーカー「黄桜株式会社」 の社名の由来は、社長が淡く緑色がかった白い花を咲かせるサトザクラの一種の鬱金桜(黄桜)の花を好んだことから。

鬱金桜は、その透き通るような、うす萌黄色の花びらが風に散るさまは、江戸時代から風情のあるものとされています。京の鴨川、宇治川、桂川、淀川と清き流れに囲まれた伏見の地で、創業者の松本治六郎氏がことのほか、この黄桜を愛し、清酒「黄桜」として販売したのが始まりだそうです。黄桜を飲んだ時に思い出してください。(黄桜 ウィキペディア)

黄桜のマスコットの河童は、漫画家・清水崑氏が長期にわたり描いていましたが、昭和49年に小島功氏に引き継がれました。現在の色っぽいカッパ妻は二代目です。詳しくは、下に表示した黄桜のホームページをご覧ください。(高25期 廣瀬)
黄桜ホームページ

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