▶コンピュータの巨人IBMはPC事業を何で中国の新興企業レノボに売ったのか?
2004年の暮、IT業界を揺るがすようなビッグニュースがインターネットを駆けめぐりました。コンピュータの巨人、IBMがPC事業を中国のレノボという会社に売却するということが決まったのです。このニュースは、蛇が象を飲み込んだとか、亀がウサギの背中に飛び乗ったとか言われていますが、それほど、単純な話ではないと思います。(高25期 廣瀬隆夫 2005年2月3日)
そもそも、PCビジネスは、今から20年以上前にIBMが始めたものです。大型の汎用機で市場を独占してビッグブルーと恐れられていたIBMが、アップルなどの新興企業の脅威に対抗するために立ち上げたものです。全て自社生産を貫いていた純血主義のIBMがオープンシステムを採用して、仕様を公開し、CPUはインテル、OSはマイクロソフトから、その他の部品も広く世間に出回っているものを使ってくみ上げるという大きな方向転換を余儀なくされました。一人一台のパソコンを目指して、とにかく沢山パソコンを売って、その買い替え需要やアプリケーションで儲けようというビジネスモデルでした。
このオープンシステムの採用は、開発費の節約という観点からは良かったのですが、互換機メーカーが出てくると、次第にIBMの優位性が失われてきました。IBMが作ったPCも、名前も知らない中国のメーカーが作ったPCも、性能的には大差無いということが分かってきました。もはやIBMはPCビジネスの主導権を握ることが出来なくなっていたのです。儲かっているのは、PCの心臓部を作っているインテルとマイクロソフトだけで、その他の企業はわずかの利幅で「労多くして功少なし」という非効率なビジネスの典型になってしまいました。IBMのPC部門も何年も赤字が続いていました。
近年、インターネットが急激に普及した影響でネットワーク機器が安価になり、高速、高性能になりました。クライアントサーバコンピューティングを経て、サーバに情報資産を置いたネットワークコンピューティングが主流になり始めました。プログラミング言語のJavaを開発したサン・マイクロシステムズの当時のCEOのスコット・マクネリーは、Networking is the computer.(ネットワークこそコンピュータだ)を提唱しました。
ネットワークの性能が上がり、アプリケーションをローカルのPCに持っている必要は無く、必要なときにアプリケーションをサーバーからダウンロードして使う方式が現実的なものになってきました。どんなパソコンでも同じように使える時代になったのです。
IBMのPC事業の売却には、このネットワークの普及がトリガーになっています。「ユーティリティコンピューティング事業という社会インフラ事業を独占するためにサーバサイドに資源を集中する」ことがIBMのPC事業売却の最大の目的です。「ユーティリティコンピューティング」は、処理能力や記憶容量など、コンピュータの持つ計算資源を必要なときに必要なだけ購入して利用する方式のことでコンピュータの能力を電気・ガス・水道などのような公共サービスのような形態で利用するモデル、まさに、Networking is the computer.そのものです。
巨大サーバとネットワークインフラおよびユーティリティサービスを開発するソフトウェア構築力がキーとなり、PCはサーバから情報を汲み出す蛇口やコンセントに過ぎません。ユーティリティコンピューティングを目指すIBMがそんなレッドオーシャン(※)で生死をかけた戦いを展開するわけがないのです。電力会社が利幅が小さい電気器具の製造販売を行わないのと同じ理屈です。
IBMのPC事業売却は、これからのコンピュータ業界を自分たちが舵取り出来るように軌道修正するという戦略的な転換だと思います。インターネットでも100MBPSが当たり前になる時代が来たとき、IBMの決断が適切であったかどうかが本当に分かるのではないかと思います。2005年は、IT業界にとって歴史的な年になるのでしょうか。
※ レッドオーシャン:競合がひしめき合う激しい競争状態にある既存市場のこと。文字通り「血で血を洗うような真っ赤な海」のような市場です。一方、IBMが選択したブルーオーシャンは、競争相手のいない未開拓市場のことで、利益率の良いビジネスを展開する余地を残した文字通り「のどかで穏やかな青い海」のような市場を指します。