▶パソコンやインターネットを生み出したカウンターカルチャー

最初のコンピュータと言われる丸ビルほどの大きさのエニアックは、第二次世界大戦の大砲の弾道計算に使われていました。IBMのメインフレームは、国勢調査の大量のデータを処理するために使われました。インターネットの元祖のArpanetは、アメリカ国防総省の拠点が原爆で狙われても持ちこたえる軍事用のネットワークとして開発されました。電子計算機の原理を考えたノイマンは原爆を開発するマンハッタン計画の中心的な人物となりました。国の施策として開発が進められた大型電子計算機(メインフレーム)やネットワークは、莫大な国家予算を費やして作り出された体制の象徴でした。(高25期 廣瀬隆夫)

1960年代、アメリカの西海岸では、ベトナム戦争反対を叫ぶ若者が中心になり、既存の社会の根幹に関わる制度や規範、文化に反発する集団によって形成されるカウンターカルチャーが蔓延していました。若者たちは、どうすれば矛盾に満ちた既成の体制をぶち壊せるのか、自由を自分たちの手にできるのかを模索していました。長髪、ヒッピー、ドラッグ、セックスに明け暮れる社会に背を向けた若者たちが巷に増殖していきました。ビートルズが出てきたのも、ちょうどこの頃です。

この雰囲気の中で青春時代を過ごした若者たちは、トランジスタの発明、集積回路の実現、ワンチップに収まるコンピュータの開発によりダウンサイジングが進み、今まで雲の上の存在だったコンピュータが、自分たちでも作れる時代が来たことに歓喜しました。保守的な東海岸のIBMに代表される紺のスーツを着たホワイトカラーが作り上げたメインフレームによる集中処理に対するすさまじいまでの反発という形で、パーソナルコンピュータや分散ネットワークを開発していきました。

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズは、小さなパーソナルコンピュータでもCPUの性能が上がればメインフレームと同じことができると気づいていました。たくさんのコンピュータが緩く繋がって処理をしていけば大きなパワーになると信じていました。バッタの大群が広大な耕地を食い尽くすようにインターネットは広がっていきました。この伝播を誰も止めることは出来ませんでした。コンピュータの分野では、カウンターカルチャーが巨大なメインカルチャーを食い尽くすのにそれほどの時間はかかりませんでした。

ホール・アース・カタログをつくったスチュアート・ブランドが、この説に対して、なるほどと思わせる議論を展開しています。

「当時は、社会全体に無政府主義が危険なまでにはびこっていたが、権威を軽蔑するカウンターカルチャーのこうした姿勢が、管理者を置かないインターネットのコミュニティ、ひいてはパーソナルコンピュータ革命の哲学的基礎を与えることになった」

GAFAの一角をなすアップルのデベロッパー契約書には、開発パートナーになる条件として、出来上がったシステムやソフトウエアは戦争には使ってはならない、ということが書かれています。反戦、平和を求めるカウンターカルチャーの精神が残っています。ジョン・レノンは歌いました。「想像してごらん、宇宙から見たら国境なんてないんだ」ビートルズのレコードレーベルAppleとiPhoneのアップルはこんなところで繋がっていたのです。

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