▶時の流れを緩やかにするための考察
今年も早いもので、もう12月。この前、お正月にお雑煮を食べたと思ったら、もう1年が過ぎてしまったことに愕然とします。みなさんも同じ様に感じているのではないかと思います。そこで、何でこんなに時は速く流れるのか、この時の流れを緩やかにできないかということを考察しました。(高25期 廣瀬隆夫)
歳とともに時の流れが速くなる理由を考えてみました。
● 記憶力が衰える
歳をとると、悲しいかな物忘れが激しくなります。読みかけた本をどこかに置き忘れるなどよくあります。でも小学校の夏休みの楽しい思い出などは鮮明に記憶に残っています。直近のことを忘れて古いことばかり記憶に残っているので、あ~もう、こんなに時が経ってしまったのかとなるのではないかと思います。
● 生きてきた時間の長さ
7歳の孫と70歳のおじいちゃんでは、過ごした時間に10倍の隔たりがあります。100メートル歩いた後の10メートルと1000メートル歩いた後の10メートルでは、後者のほうが短く感じるのではないでしょうか。人生が長くなるほど、時間は短く感じられるのではないかと思います。
● 反応が遅くなる
歳をとると身体の動きがゆっくりになり、何かを判断するまでに時間がかかるようになります。物事を認識する反応が遅くなれば、相対的に時間が速く感じるのではないでしょうか。 川の流れにそって歩いているとき、始めは川の流れが遅く感じますが、疲れてきて歩くのが遅くなると、川の流れが速く感じるのと同じことではないかと思います。
● 生理的な変化
子どもの鼓動は大人より速いと言われています。歳を重ねるに従い、鼓動は次第にゆっくりになってきます。心臓の鼓動が体内時間の基準だとすると、歳を取るに従って時の流れを速く感じるのは必然のように思えます。
● 感動がなくなる
子どもは好奇心でいっぱいです。見るもの聞くもの新鮮で何でも不思議でたまらないようです。家中の電気製品のボタンを押 しまくったり、ティッシュペーパーを部屋中にばらまいたり、とにかく何にでも興味を持って触りたがります。子どもたちにとっては、毎日、海外で異文化に触れているようなものです。歳をとると、始めての体験が少なく感動がなくなり、その結果、時が速く過ぎていくのではないでしょうか。
● 楽しみが減る
子どもの頃は誕生日のお祝いやクリスマス、お正月、入学などの楽しいイベントがたくさんあります。そのときが来るまでカレンダーを見て今か今かと待っています。歳をとるとこのような楽しみが少なくなって、暦を見る時間も減り、時が速く流れるのではないでしょうか。
これらの考察から、歳をとると時の流れが速くなるのは、身体的な変化と心理的な要因に関係していることが分かります。記憶力や体力の衰えに逆らうことはできませんが、気持ちを切り替えれば時の流れを穏やかにすることができるのではないでしょうか。
私の人生の中で時の進み方が遅くなったと感じたことがあります。それは、結婚してからの何年かの時期でした。結婚式から始まって、新しい生活を始めるために家財道具を整えたり、父がなくなったり、子どもが生まれたりと忙しい時期でした。初めての様々なことが起きましたが驚きや感動が多い期間でした。この何年間は、確かに時間が進むのが遅かったように感じます。
子どもたちは見るもの聞くもの、なんでも珍しくて感動します。小さい頃初めて食べたハンバーグの美味しさは今でも覚えています。祖母は、正月の初詣、2月の節分、3月の桃の節句・・・など節目には忘れずに小さな年中行事をやっていました。お萩や油揚げでお稲荷さんを作ったりしてみんなで、ささやかに楽しんでいました。子どものように好奇心を持って新しいことにチャレンジすること、ささいなことにも感動すること、毎日の単調な生活に流されないこと、節目には面倒臭がらずに楽しい行事をやること、などが時の流れを遅くする秘訣ではないでしょうか。
「時計が止まるとき、時間は生き返る」というフォークナーの有名な言葉があります。忙しさに流されそうになったら、たまには時計を止めて、今という瞬間を見つめ直すことも必要かもしれませんね。
小さい頃は、遊んでも遊んでもなかなか日が暮れない来したことがありました。しかし、今はすぐ一日が経ってしまします。今日は何をしたのかな?あまり出来なかったなあ・・・と感じることも多々ありますよ。
私も、小学校の6年間が一番長く感じていましたね。早く高学年になりたかった。時間が無限にあるように感じていました。今は、1年なんて、あっという間ですね。
広瀬様、
時間についての短いながら、心に沁みるエッセイですね。
これまで空間については相対性理論や量子力学等、分からぬまゝに何とかイメージがつかめた気がしていますが、同じ物理学の理論を基礎に時間も考えられるはずなのに、皆目理解できません。なぜ時間は逆行しないのか?
文系の限界かな?
『徒然草』に「寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか」という件りがありますね。さらに「遠く日月を惜しむべからず。たゞ今の一念、空しく過ぎることを惜しむべし」とあります。
「年月が早く過ぎると言って惜しむ気になるより、目先の一分一秒を無駄にするな」という忠告ですが、受験勉強中の若者への忠告、猛烈サラリーマンへのアドヴァイスなら結構ですが、我々老人世代には如何なものでしょうね。
私は、日月の流れゆくのを感慨を以って愛惜するほうが心が豊かになるような気がします。「惜しむ」の意味合いが多少違いますが、私は「日月惜しむべし」と思っています。
そうですね。無駄に時間を過ごさないで流れる時を味わっていきたいですね。私は、以前は、テレビをよく見ていましたが、自分の時間を取り戻したいと思って最近はほとんど見なくなりました。悪質な泥棒がいますが、時間泥棒にも気をつけたいと思います。
時間の進み方について、皆さん誰もが同じように感じるということは、その「理由が同じ」だからです。つまり『楽しい事』は、なかなかその日が来ず、待ち遠しい。
『いやな事』はすぐその日が来る。学生時代、『修学旅行』は待ち遠しかったが、『期末試験』のような事はすぐ前日になってしまった覚えがあります。
「子供のころは時間が長く感じ、年を取ると短く感じる」のではなく、
そう「言う」人たちには共通した『いやな事』が迫っているからなのです。
『共通した、いやな事』とはなんでしょうか?……寿命です。
天寿がコントロールできないならば、その内容を豊かにするには『濃く』生きるしかありません。
そうですね。達観して、今を濃く生きたいものですね。