▶私の読書、その「遍歴」と「手法」(高22期 高橋 克己)

横須賀高校文芸部

前拙稿「記恩ヶ丘は重かった」では私の「武歴」(or部歴)を書いた。ならば「文歴」にも触れるのが、文武両道を旨とする横高OBの責務であると考え、再度PCに向かうことにした。当時「文芸部」にも籍を置いたが、「相撲部」同様、卒業アルバムに写真が載っただけだから、ここでは触れない。(高22期 高橋克己)

「武」と対句をなす「文」の範囲は広いが、高校生の「文」といえば先ずは「勉強」。だが、家業(歯科医院)を継ぐからと勉強に走ろうとし勝ちな畏友、佐々木滋をたしなめるほどに、勉強以外のことに打ち込んだ私の「文」は「音楽」と「読書」だ。本稿では「読書」について書く。

柔道部への入部が畏友に誘われてのことであったように、多感なくせに無知な思春期の嗜好・思考・行動は、近くにいる者たちのそれに大いに影響される。むろんそれは受動するだけにとどまらず、こちらがあちらに影響を及ぼすこともある。青春とはそうした時期である。

入学したては男子35名が「い」から「わ」まで順に、続いて女子15名が同様に名前の順で座っていたのだが、しばらくして席替えの機運が盛り上がった。その頃にはクラスメイトの様子が大方判ってきているし、特にニキビ面の男子なら、これはと思う女子の前後か左右の席を占めたいと思うに違いない。

そこで、先ずは女子を適当に配してはどうか、との案を誰かが出した。下らぬことも良く憶えている畏友によると、それに私が「女子を商品化している」と異を唱えたらしい。そんなこんなで窓際の最後尾に収まった私の前には、母の命令で確かめる事項があったKさんが偶さか座ることになった。

その「命令」とは、クラス名簿を見た母が、きっとKさんは女学校時代の恩師の娘さんだと思うので確かめろ、というもの。が、当初の席順は前述の様で、Kさんはおろか他の女子とも話す機会がないままにいた。席替え後、折を見て母の命令を遂行してみると、果たしてその推理は当たっていた。

それを機に話をするようになったKさんがある日私に、「異邦人って知ってる?」「太宰治を読んだことある?」と問う。それまで本など読んだことのない「武(無)骨」な私はひどく狼狽した。どう応じたか記憶にないが、すぐに図書室で借りて、それらを読むようになった。

カミュの「異邦人」から読んだ。が、「今日、ママンが死んだ」とか「太陽が眩しかった」との隻句の他は、難しい本だなというだけの印象だった。次に太宰治の「晩年」と女生徒」を読んだところ、その中の「魚服記」や「葉桜と魔笛」が特に印象的で、図書室の彼の著作を端から読んだ。

気に入ると手元の置きたくなり、平坂書房で新潮文庫を買いもした。太宰を一通り読むと、同じ系統(無頼派と称される)の坂口安吾、織田作之助、田中英光、嘉村磯太などを読み、葉山嘉樹辺りまで来たところで、これらの貸出カードに必ず名が記されている一人の上級生がいることに気付いた。
  
当人を探し当てそれとなく観察すると、眼付きの鋭い生徒で、学生運動の活動家と判った。となると自分も彼と同じ思考に走っているかと、片方で「武」に興じているノンポリの身に、このまま進むことへの恐れが生じた。とはいえ、読書への興味が減じることはなく、以降は軌道を修正した。

こうして国内の作家では三島由紀夫を主体に、漱石、鴎外、芥川から菊池寛や清張なども読むようになったから、常人とは逆コースかも知れぬ。外国文学ではヘッセを読み、モーパッサンの結構残酷な短編集を読み、ロシアの長編は大変なのでチエホフの長閑な短編などを読んだ。

とりわけ三島は、柔道部部長の諏訪圭司が読んでいたのにも触発された。彼とは大学も学部も同じだったので三島と太宰の比較論など交わしたものだった。こうして少し片端ながらも「文武両道」の青春を過ごして社会に出、その年のうちに所帯を持った(結婚式の司会は学部にいた諏訪)。

本は実家に残したので、再び本棚を持ったのは20年程して仕事や家計に少し余裕が出来た頃だった。10年余り携わった営業職から経理・人事へと仕事が変り、実務に必要な専門書は読まない訳にはいかない。本棚に並ぶのは肩の凝らない内田康夫・島田荘司・綾辻行人らのエンタテインメントだ。

が、知命を前にして企画部門に移ると推理小説に現を抜かす暇もなくなり、還暦過ぎて台湾子会社の董事長に就くまでは、趣味としての読書からは遠ざかった。ところが、閑職のはずの高雄で持ち回りの日本人会会長を引き受けたことが、私を読書に引き戻すきっかけになった。

海外の日本人会の何たるかも、下関条約で清から割譲されたこと以外の台湾事情も知らない身に、高雄日本人学校の移転と高雄日本人慰霊塔の撤去という難問が降り掛かったのだ。これらの顛末は書き始めて5年になる「アゴラ」ブログでお読み願うとして、兎にも角かくにも台湾史を勉強することになった。

◆ ◆ ◆

斯くて台湾を少し知るようになると、先の終戦まで共に日本だった台湾と韓国が、なぜ今日のような親日と反日に別れたのかという疑問が当然に湧く。そこで10年前リタイアしたのを機に、このことの勉強をライフワークにしてみようと、関係する古本を6百冊ほどAmazonで買い込んだ。

これに要した20数万円(半額は送料)は、単身赴任の無聊を慰めるべく約20年間に買い集めたクラシックCD千枚余りを売り払って賄えた。蔵書はその後の10年で倍以上になっていると思うが、最初に買った6百冊の約半分は、書名に釣られて不見転で買ったので、ほとんど役に立たなかった。

つまり、専門書でもノンフィクションでも、自分の勉強に役立つかどうかは読んでみないと判らないということ。不見転で懲りてからは、先ず図書館で借りて中身を吟味し、手元に置きたい本だけをAmazonで探す。手頃な価格なら求めるが、高価なら図書館本の必要頁をスキャンしてPCにファイルする。

歴史の勉強では一次資料に当たることが必須だが、しばしばどの史料にも書かれていない空白に遭遇する。先行研究者は自らの知見を以って推察し、その空白を埋める。が、素人の思い込みは勿論のこと、ピンからキリまでいる先行研究者のキリの論だけを鵜呑みにすることも、間違いの元になる。

然らばどうするかは、自ら史料に当たって知識を蓄え、研究者や歴史家の著作を出来るだけたくさん読んで、誰の論が信用に足るかを自分なりに判断するしか方法がない。私が信を置く著者はといえば、天才学者、小室直樹と市井の歴史家、鳥居民に先ず指を折る。二人の著作のほとんどが本棚に並んでいる。

台湾史では若林正丈の本が多いが、伊藤潔の「台湾」(中公新書)は通史を概観するには手頃だ。台湾史関係の座右の書は、戴天昭「台湾 法的地位の史的研究」と史明「台湾人四百年史」だが、両方とも8百頁近い大部なので寝床で読むのはけっこう辛い。

台湾や朝鮮の歴史を勉強するには、清末からの現代までの中国史は勿論のこと、戦前・前後の日米交渉史なども知る必要がある。日米関係では五百旗頭真「米国の日本占領政策」や一連の東京裁判研究書が役に立つが、五百旗頭は往時がピークだったか。14年間の日韓国交正常化交渉の研究書も欠かせない。

数年前、私のブログ「終戦秘話①-④」のポツダム宣言受諾を巡る日米のやり取りを盗作だと、目下「X」を賑わしている早大A教授が「アゴラ」編集に訴えたことがあった。彼はそれをスイスのアーカイブで発掘したそうだが、私は彼もその著作も知らいないし、記述は「FRUS」*にアクセスして見つけたと説明した。斯くてその話は立ち消えになった。*米国の公文書アーカイブサイト

閑話休題。私が専門書全編を小説の様に通読することは稀だ。初めに出版社、著者略歴、後書と解説、脚注と索引、序文といった順で目を通し、次に目次で調べたい項目の頁を探して読むので、数頁のことも数十頁のこともある。別の本の同じ事項との比較も重要だ。例えば「対華21ヵ条」を「突きつけた」と書くか「提出した」と書くかで、著者の思想の一端が判る。

回顧録や日記も歴史研究には必須だが、他人が読むのを前提に書かれたものには潤色もある。例えばグルーの「滞日十年」は、大戦末期の日本に降服のシグナルを送るべく何分の1かに編集されたから、記述自体に嘘はなくても残りは捨象された。木戸幸一もGHQ提出の際、「日記」の不都合な箇所は抜いた。

ネットが普及した今日では、各種論文や国内外のニュースをPCで読むことができる。私は自分のGmailアドレスを各ニュースメディアの無料のニュースレターやメルマガに登録し、日々数十通配信される国内外のニュースを読む。外国語の記事もAI翻訳なら、クリック一つで日本語記事さながらに読める。

トランプ記事を例に引けば、「朝日」・「読売」・「産経」が報じるニュースと、左派の「CNN」・「NYT」や保守の「Newsmax」・「Fox news」などの現地の論調との比較ができ、各メディアの情報操作振りを実感できる。大森実の「戦後秘史1-9」は「毎日」にもこんな記者がいたかと嘆息するほど素晴らしい。

台湾の「CNA」や韓国の「朝鮮日報」「中央日報」「東亜日報」「ハンギョレ」、ロシアの「スプートニク」、中国の「新華社」などには日本語版がある。AI翻訳を使えば、それこそ「アルジャジーラ」から「人民日報」「タス通信」なども無料で読める。が、最近は有料講読のメディアが増えた。

以上、私の拙い「読書遍歴」と「読書手法」を書いた。むしろ勤めていた頃よりも机に向かう時間の多い毎日だから、持て余すべき暇がない。それが良いのかどうかは判らないが、今のところ身体にも頭にも不調な箇所はないようだ。

「知られざる日台の絆:高雄は残った『台湾の日本人慰霊塔』」
https://agora-web.jp/archives/2037946.html

「終戦秘話①-④」
https://agora-web.jp/archives/2040995.html

    ▶私の読書、その「遍歴」と「手法」(高22期 高橋 克己)” に対して4件のコメントがあります。

    1. 22期 伴野明 より:

      横高同期(22期)の高橋克己さんの読書遍歴、興味深く読ませて頂きました。個人の読書遍歴がこれほど詳細に書かれた記事を見たことがありません。

      文中の台湾と韓国が親日と反日に割れた理由に興味があります。両国共それなりの歴史的背景があろうと思います。可能なら出版物から読み解ける資料をご投稿いただければ幸いです。

      1. 高橋克己 より:

        伴野さんのご質問にお答えします。先ずはそのことに触れたブログが何本かあるので、これをご一読下さい。
        *228事件の影響⇒https://agora-web.jp/archives/2037412.html
        *彼我の歴史教育の相違⇒ https://agora-web.jp/archives/2037642.html
        *「朝鮮が日本に併合され独立を失うようになった原因の究明や反省」をしていないこと⇒ https://agora-web.jp/archives/2037602.html
        加えて、これらで触れていないので概説しますと、台湾が4百年前に西洋の歴史の登場して以来(それ以前は原住民の歴史)、オランダ⇒鄭成功(漢族)⇒清(満州族)⇒日本と、外来政権に統治され続けて来たのに比べて、朝鮮には4千年前からの檀君神話があり、日本統治以前から李王朝が小中華と称した国家(実は中国の属国でしたが)が継続していたことが大きな違いだと思います。つまり、台湾には育ち難かった民族アイデンティティやそれに基づくプライドが、朝鮮では日本統治期にも維持されていたから、ということかと。
        高橋

        1. 22期 伴野明 より:

          22期 伴野です。早速、克己さんのブログ3本を拝読しました。大急ぎで読んだだけですが、驚きました。私が台湾、韓国を、なんとなくイメージだけで理解しているつもりでいた事が恥ずかしい。日本人はウクライナ、ロシアなどよりも本当に身近な台湾、韓国の歴史を正しく知るべきと思います。克己さんに感謝です。
          皆さん、この3本はぜひ読むべきです。

    2. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      克っちゃんは文芸部にも所属していたんですか。
      ミスドで会った時は新聞を隅から隅まで読んでいましたもんね。
      僕は人の文章を読むのが苦手で現在家内が入院しているので配達された新聞は即ちり紙交換の束に収まってしまいます。
      卒業アルバムの写真中央は大石凡ちゃんじゃないですか。
      懐かしいです。
      教師なのに学生服を着て授業してたんですよ。
      詩は構えて読むものではなくゴロゴロしながら読んだ方が良いなどと言っていましたっけ。

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