▶偵察用から攻撃用へ、軍用ドローンの進化を追う(高22期 高橋 克己)

MQ-1B プレデター(ドローン) Wikipedia

昨日(7日)もバグダッドでヒズボラ幹部が米国のドローンによって殺害されたとの報道がありました。本稿はロシアによるウクライナ侵攻から4ヵ月経った2022年6月に「アゴラ」に寄稿した「ドローン」に係る論考のリライト版の転載です。(高22期 高橋克己)

2022年6月2日の「ロイター」は、近く米国が武装ドローン4機をウクライナに売却予定とする関係者の談話を「独占」報道した。そのドローンはジェネラル・アトミックス製のMQ-1Cグレイ・イーグルで、重さ45kgのヘルファイアミサイルを最大4機搭載できるそうだ。

ドローンと言えば、少し前までは精々縦横40cm〜50cmほどの機体と数個のプロペラを持つ、いわば玩具に毛の生えた様なもの、というイメージだった。が、必要は発明の母、グレイ・イーグルは全長8.5メートル、最高時速280キロで41時間も連続飛行する上、ミサイルも発射できる。

本稿では、このグレイ・イーグルの前身であるプレデターの克明な開発過程を、軍事問題の取材を長年しているリチャード・ウィッテルの著書『無人暗殺機ドローンの誕生(英語名『Predator:The secret origins of the drone revolution』)』(2015年2月文藝春秋)から紹介したい。

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今般のロシアによるウクライナ侵攻では、「力による現状変更は許さない」と、米国を筆頭に西側諸国がウクライナに武器を提供し、ジャベリン(レイセオンとロッキード・マーチンの対戦車ミサイル)やスティンガー(ジェネラルダイナミクスの対空ミサイル)などが有名になった。

西側各国から併せて4桁に上る数(2022年6月時点)が提供されているこの二つの兵器は、共に兵士が持ち運ぶ「携行式」だが、これらに加えてウクライナは、米国エアロバイロンメントの攻撃ドローン、スイッチブレード700機とトルコ製の無人機バイラクタル36機を実戦配備している。

スイッチブレードは「神風ドローン」の異名の通り「使い切り」である一方、バイラクタルもグレイ・イーグルも、人間が乗っていない無人機=Unmanned Aircraft Vehicle(UAV)であるものの、自動操縦で離発着する、繰り返し使える攻撃機であるところに新規性がある。

書名の『Predator』とはMQ-1Cグレイ・イーグルの原型の名前だ。その開発にはユダヤ人天才エンジニア、エイブラハム・カレムのリーディング・システムズ(LS)と、米国の実業家ブルー兄弟のGAテクノロジーズ(GAT)という2企業が関係する、かなり複雑な経緯がある。

カレムが無人機を着想したきっかけは1973年の「ラマダン戦争」で、エジプトの地対空ミサイルレーダーをかわす囮無人機の開発だった。最初のアイデアが試作段階で終わった直後、彼は国営イスラエル航空産業(IAI)を辞め、自ら会社を興して国境警備用の武装無人機に取り組み始めた。

完成した基本設計の購入を陸軍に拒否されたことをIAIの差し金と疑ったカレムはロサンジェルスへ移住してLSを興し、そこで偶さか国防高等研究計画局(DARPA)の物理学コンサルタント、アイラ・クーンの知遇を得る。DARPAは軍の技術水準を最先端の状態に保つ先進的なアイデアを求めていた。

カレムはDARPAの資金援助で「15.5ガロンのガソリンで2日間飛び続けられる、自重105ポンド」の無人偵察機アンバーを開発、海軍・海兵隊・陸軍が共同でDARPAによるアンバー開発を援助することになり、カレムのLSに5百万ドルでそれを請け負わせた。

同じ頃、投資会社オーナーのニールとリンデンという一つ違いのブルー兄弟も、GPS誘導式の安価な無人機の開発を着想していた。1985年、ニールは「WSJ」紙の記事で、シェブロンが分割譲渡する資産の中に、原子力と核防衛を研究しているGATの名を見付ける。

GATは元々ジェネラル・アトミックス(GA)といい、原子力関係の他に、レーガンのSDI構想の一部である「弾道ミサイルを打ち落とす兵器」の研究開発をしていた。ブルー兄弟はGATを「5千万ドル以上で」買収、社名をGAに戻し、改造超軽量飛行機にGPS受信機を取り付けた無人機を開発した。

ブルー兄弟はこの無人機をプレデターと名付けたが、現在のプレデターの原型は、カレムのアンバーとその小型廉価版機ナットだ。両機は「アスペクト(縦横)比の高い翼、推進型プロペラ、逆Ⅴ字型尾翼」というグレイ・イーグルに受け継がれる共通の特徴を有していた。

カレムとブルー兄弟の出会いは、1988年のパリ航空ショーにLSとGAが出品したことだった。その3年後、破産したLSがGAに買収されたことで、カレムの開発した無人機にプレデターの名が冠されるのだが、その経緯は次のようだ。

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米国議会が1987年に無人機計画を精査したところ、軍による開発に「過剰な重複」を見つける。結果、1988年度の国防歳出案はペンタゴンに、無人機の研究開発を陸海空軍共同の「無人航空機合同計画オフィス(JPO)」で行うよう指示する。1989年、JPOは発注のためのコンペを行った。

JPOの条件は、① 基地から90マイルの地点で5〜12時間滞空が可能なこと、② 400機の無人機と操縦に必要なシステム(GCS)50個を5年以内に製造が可能なこと、の二つだった。アンバーは前者を満たすが、資金難で後者に不安があったカレムは、ヒューズ・エアクラフト(HA)と提携した。

HAの提携条件は、最大3千万ドルの融資の担保として、LSの有形および無形資産の全てを差し出すことだった。条件に合意し契約したカレムは、その後、ナットをクウェート、トルコ、パキスタンなどに売り込むことで資金調達を図ったが、何れも不調に終わりLSは破産する。

HAは1991年、LSの資産処分に動くが、ここでDARPAのコンサル、クーンが奔走しブルー兄弟に買収を持ち掛けた。1988年の航空ショーで見知っていた両者は、LSがJPOに渡したアンバー6機以外の全ての資産、即ちナットやGCSと知的財産の全てをGAが185万ドルで買い取ることで合意した。

その頃、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でのセルビア人勢力によるサラエボ包囲(1992〜96年)を無人機で偵察する計画を立てていたCIAはGAに接触を図る。新任のウルジー長官はクーンを介してカレムを知っていた。そして1994年春、ナットはサラエボ上空を飛んだ。

敵の地対空ミサイル発射装置が囮であることを見分けたナット(その日にプレデターと改名)は、その画像を140マイル離れた国連平和維持軍のアルバニア西部ジャデル空軍基地のモニターに映し出した。斯様に、当時のUAVに期待された役割は、40時間という長い滞空性能を生かした偵察だった。

武装兵器としてのワイルドプレデターの登場には、法律によって「迅速取得権限」を与えられ、新装備を迅速に実用化する秘密航空部隊ビッグサファリが大きな役割を果たした。ビッグサファリは1999年、プレデター4機(1基のGCSに付属する機数)へのレーザー照準器の設置を目指した。

プレデターのレーザーを、より高度にいる戦闘機からは見えない目標に照射することで、戦闘機の砲弾やミサイルを目標に誘導できる。当時のコソボ紛争でセルビア軍が使用していた旧ソ連製高射砲や地対空ミサイルは手強く、1999年3月にはF-117ステルス戦闘機が後者に撃墜されていた。

プレデターが送ったコソボのセルビア軍戦車の画像は、NATO司令部(ナポリ)、米軍欧州司令部(シュツットガルト)、欧州連合軍最高司令官オフィス(ベルギー)でも見ることができた。が、モニターのないコソボ上空の戦闘機ではこれが見えず、GPS装備もなかったので攻撃できなかった。

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その1年前の1998年8月、タンザニアとナイロビの米国大使館が自爆テロに遭い、213名が死亡、4500名以上が負傷した。オサマ・ビンラディン率いるアルカイダの犯行だった。クリントン大統領は巡航ミサイル79発をスーダンとアフガンのアルカイダ拠点に打ち込み、報復した。

が、ビンラディンの姿はどちらにもなく、クリントンはCIAにビンラディン逮捕の権限を与えた。CIAはヒューミント(Human Intelligent/Humint:人による情報収集)により居所を突き止めようとした。が、確実に彼がそこにいると断定できずにいたところへ、ワイルドプレデター完成の報がもたらされた。

ワイルドプレデターは、プレデターの機体に改造を施してレイセオン社の開発になる最先端レーザー照射器「フォーティーフォー・ボール(44B)」を搭載していた。44B搭載のプレデターには、ワイルド=WILD(Wartime Integrated Laser Designator)の語が冠された。

難題はGCSの設置場所だった。プレデターはKuバンド(周波数12~18GHz)衛星パラボラアンテナを通じて操縦されたが、この衛星リンクでの離着陸にはリスクがある。操縦者がコマンドを出してからプレデターが反応するまで、静止衛星と地球間の2.5万マイル(40万km)を往復する時差があったからだ。

が、このリスクは離着陸地の5百マイル以内にCバンド(周波数4〜8GHz)GCSを置いて離発着させ、安定飛行に入った後にKuバンドに切り替えることで克服できた。ビンラディン発見は、ウズベキスタンに置いたCバンド局と、バージニア州ラングレー基地の直径11mのパラボラアンテナをドイツに移設した衛星基地局を使って行われた。

だが、ビンラディンに向けて巡航ミサイルは撃たれなかった。インド洋から発射される巡航ミサイルが、プログラミングされてアフガンにいる目標に到達するまでに数時間を要するため、ミサイル発射後に目標が動いた場合でもミサイル軌道の修正が効かないからだった。

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コソボでプレデターが目標を見つけ出す能力が証明され、アフガンでワイルドプレデターが見つけ出した目標にレーザーを照射する能力が証明された。が、この能力を確実に攻撃へと結びつけるには、プレデター自体にミサイルを撃つ機能も持たせるしかないことは、誰の目にも明らかだった。

開発指示がビッグサファリに下った。プレデターには軽量の兵器しか搭載できなかったが、調査の結果、陸軍に有望なミサイルが11000発あった。98ポンドの重量ながら戦車を破壊する威力があり、レーザー照準器の反射光を探知して目標に向かうと、陸軍のヘリで実証されていた。

そのミサイルの正式記号表示はAMG-114(AMGはAntitank Guided Missile=対戦車誘導ミサイルの頭文字)だが、それを良く知る者らはヘルファイアと呼んだ。プレデターの翼下に格納でき、価格は1基48.5万ドルに過ぎない。

いくつか課題があった。技術上の課題は、ヘルファイア発射時に、それが空気力学的にデリケートなプレデターの飛行に与える影響であり、他の課題は1987年に旧ソ連と締結したINF条約*だった。条約が禁止する「地上発射型ミサイル」に武装プレデターが該当するかどうかという法的課題だった。

*条約は、射程が500kmから5500kmまで(両国が夫々モスクワとワシントンを狙える距離)の範囲の地上発射型の弾道ミサイル・巡航ミサイルの廃棄を謳う。2018年10月、トランプ大統領はロシアが条約に反したミサイル開発を進めているとして破棄を通告した。中国がこの射程のミサイルを開発していることからプーチンもこれに異を唱えず、2019年8月に失効した。

加えて、ヘルファイアは2千フィート以下で飛行するヘリからの発射を想定しているため、プレデターの標準運用高度である15千フィートから発射するにはソフトウェアの改良が必要だった。また44Bを改良して昼光カメラを付け加える必要もあった。

技術上の課題は、ヘルファイアのロケット噴射炎も、発射の反動も、プレデターに影響を与えないと判り、補強などの改良を加えたプレデター3034は完成した。が、法的課題への国務省総合委員会の「最初の意見」は、「武装プレデターは巡航ミサイルと同等であり、INF条約に抵触する」だった。

数ヵ月経った2000年9月、かつて国務省でINF条約交渉に関わった経験のある国家安全保障会議テロ対策責任者リチャード・クラークは、「定義上、巡航ミサイルには弾頭があるが、それのないプレデターはプラットフォームに過ぎず、INF条約に抵触しない」と指摘、法的課題もクリアされた。

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プレデター3034が初めて殺傷兵器となったきっかけは、2001年9月11日の大惨事だ。ブッシュ大統領(子)は直後の17日、「昔の西部劇のポスターにこう書いてあったのを思い出した。『お尋ね者:生死を問わず』」と述べて、アルカイダを崩壊させる致死的秘密作戦の権限をCIAに与える覚書に署名した。

28日、大統領はアフガンのアルカイダとタリバンとの交戦規則を決める国家安全保障会議を招集、2週間前に議会承認されていた「テロリストに対する軍事力行使の承認」法案に署名した。この致死的秘密作戦の主役が武装プレデター3034だった。

アフガンでの戦争は、小規模なCIA準軍事組織と特殊部隊が地上で爆撃とミサイル攻撃を誘導すれば、空爆だけで済むと考えられた。が、ブッシュはコラテラルダメージ(民間の巻き添え)、とりわけモスクへの被害を懸念していて、一定以上の規模が予想される攻撃には大統領の承認が必要となった。

但し、CIAの作戦のために武装プレデターを操縦する空軍部隊が目標を発見した場合は、大統領承認必要なしとされた。目標にはタリバンの指導者ムラー・モハメド・オマルもいた。この強固なイスラム原理主義者はビンラディンの同盟者で、アルカイダに避難所と訓練キャンプを提供していた。

10月7日、カンダハル中心地にあるオマルの屋敷のはるか上空で、2時間前からそれをカメラの射程内に収めて旋回していたプレデター3034は、屋敷を出て北西に向かう、1台にオマルが乗ると思しき3台の車列を追跡した。

7000マイル(11200km)離れた米メリーランド州アンドリューズ空軍基地で操縦されるこのプレデター3034の画像は、フロリダ州タンパのマクディル空軍基地中央軍本部と、サウジアラビアのプリンス・スルタン空軍基地の連合軍空軍本部に置かれたCACC(合同空軍作戦センター)に共有された。

車列はカンダハル北西部にある、ビンラディンが提供した周囲に塀を巡らせた敷地に入った。多くの者が車列にヘルファイアが発射されるものと思ったが、そうならなかった。1時間経ってもプレデター3034は敷地の上を旋回していた。敷地内の小さな建物がモスクであるか否か議論されていたのだ。

結局、敷地の入り口に停車しているトラックにミサイルを発射することになった。驚いてモスクらしき建物から人が出て来れば、オマルを狙撃するチャンスが生まれる。斯くてヘルファイアが発射された。複数の建物から武装した人影が四方八方に走り出て来た。

が、その誰一人として頭上を気にしていなかった。迫撃砲か携行式ロケット弾を撃ち込まれたと思ったのだ。この時、オマルは殺害できなかったが、これが新しい戦争の形の始まりを告げる歴史的瞬間だったことは間違いない。天才エンジニア、カレルが無人機を着想してから28年目のことだった。

それから20数年、つまりカレルが着想してから半世紀を経た今日、ウクライナや中東での戦争の主役は、軍用武装ドローン:Unmanned Aircraft Vehicle(UAV)に確実に移行した感がある。

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私事にわたりますが、経営コンサルタントをしていた米人の従妹が2000年代の初頭、クライアントが開発していたドローンが軍用に使われたのにショックを受け、コンサル業を廃業する出来事がありました。我が国でも兵器研究を忌避してきた日本学術会議の在り方が俎上に乗っている昨今、本稿がデュアルユースについて考える一助になれば幸いです。(おわり)

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