▶八百屋の符丁(高22期 伴野明)
符丁(ふちょう)って何のことかご存じでしょうか? この記恩ヶ丘HPに相応しい話題かどうか分かりませんが、おそらく皆さんがご存じない事だと思います。 Wikipedia等で引くと、 符牒(ふちょう、符丁、符帳)とは、同業者内、仲間内でのみ通用する言葉、また売買の場や顧客が近くにいる現場などで使われる、独特な言葉のこと。と出ます。隠語の一種ですね。
いろいろな社会においてそれぞれありますが、今回は八百屋の使う符丁についてです。これが中々面白いんです。 私は生家が八百屋でして、これからご説明するのは50年以上前、横須賀の八百屋で使われていた符丁です。 値段についての符丁は意味があるような、無いような、何とも不思議な言葉です。 私が子供の頃、横須賀市役所の近くに八百屋の市場が二カ所ありました。
親父について行くと場内で「セリ」が行われていました。場内の何カ所かで買い手の八百屋のおじさん達が野菜の山の前で輪になって大声を上げています。 夏だと上半身裸で手ぬぐいの鉢巻き、汗だくで、子供の私には喧嘩をしているようにしか見えません。 なにしろ叫んでいる言葉の意味が全然分かりません。それが符丁だったのです。 仕入が終わって八百屋の店に帰ると、私はさっそく親父に聞きました。「何言ってるか全然分かんねえ、あれ、日本語なの?」
親父はニヤッと笑って「八百屋語だ」って言うんです。 「八百屋語?、それ何?」と重ねて聞くと、「正しくは符丁って言うみたいだな」、との答え。 「符丁」という言葉自体を知らなかった私ですが、どうも秘密めいた謎の言葉があるようだ、と認識し、それを覚 えると悪魔の呪文が使えるような、大げさですが特殊な人間になれるようで、ものすごく興味が沸いたのを覚えて います。
親 父 は 指 を 一 本 上 げ て 、「 こ れ 何 ? 」 と 聞 く ん で す 。 「いち」と言ったのですが、そんな当たり前の言い方の筈はない、と考え直し「ピン?」と言い直しました。 親父は「フッ」と吹いて、「よく言った、ピンと言わない事もねえ、でも誰もが知ってる言葉は意味ねえよな、こ れは『ア・タ・リ』って言う、大当たりのアタリだな」 「うん、アタリ」分かった。私が頷いたのを追って親父は言います。
「1も10も100も1000もアタリでいいんだ」 「エッ、100円と1000円を間違えたらまずくない?」--私 「それは場によって決まる。値段の話をするんだから一桁間違えることはねえんだ。大根の値段が一本100円なら 普通だけど1000円ってことはねえからな」--親父
「はい、これ」親父は二本指を示します。
「に、しか言えない」--私
「これは『ベン』」--親父
「分かった、2も20も200も『ベン』ね--私 「そう、だけど『2』は使い方によって言い方が変わる事がある。それは後で教える。
「はい、これ」三本指です。
「さん」しか言えない私は言葉を待ちます。 「これは基本的には『ウロ』」--親父
基本的にということは、また別の言い方があるな、と想像します。
「はい、」四本指
「……」--私
「これは『ヨツヤ』--親父
「ん?、ヨツヤじゃ四と分かっちゃうから意味ないんじゃない」--私 「そう、でもこれは騙しのテクニックかもしれねえ、『ベン』『ウロ』『アタリ』とか使っていると『ヨツヤ』が単 純に『4』のはずがない、と逆に思えてしまうっていう事じゃねえかな?、実際『ヨツヤ』はよく使うんだ」-- 親父
「ふうん……?」納得できない私に親父は続けた。 「『4』は『ダリ』という言い方も使える」--親父 親父は続ける。
「はい、」五本指
「これは『メノジ』」--親父
「はい、」指六本 「『ロンジ』ヨツヤの場合と似てるだろ」 「うん……」
「はい、」指七本 「ここで変わるよ、これは『セイナン』」--親父 「ふうん……」
「はい、」指八本
「これは『バンド』--親父
「へえ……」
「はい、」指九本
「これはなんと『ガケ』……」--親父 「たぶん、崖っぷち、の意味じゃねえかな……」--親父
「これで1から9までだ、どう思う?」--親父
私は教わった言葉を並べて見た。 アタリ、ベン、ウロ、ヨツヤ、メノジ、ロンジ、セイナン、バンド、ガケとなる。
123456789 これらの中で何となく意味ありげなものは、1-4-6-9となる。 「取りあえず暗記しちゃうしかないみたい」--私 「うん、それでいい」--親父
「さあ、こっからだ面白くなるのは」親父に熱が入ってきた。 「11は『ドウゴ』、12は『チョンブリ』、13が『デク』、14は『ソクダリ、15は『チョンメ』、16が『ソクロン』、 17『チョンシチ』、18『ソクバン』、19『ソッキュウ』20は、また『ベン』に戻る。 「どうだ……」なぜか親父が胸を張る。親父は伊勢原の農家で生まれ、尋常小学校を卒業して横浜の八百屋に奉公 に出されたのだ、たぶん一番始めにこの符丁を覚えたのだろう。
「ドウゴ」と「デク」が新語で、10の桁が『ソク』『チョン』と二通りに表されている。 12『チョンブリ』15『チョンメ』 17『チョンシチ』この三つは10の桁を『チョン』と表現、14『ソクダリ』16が『ソクロン』18『ソクバン』19『ソッキュウ』は『ソク』と表現しています。 15『チョンメ』のメは『メノジ』の『メ』14『ソクダリ』の『ダリ』は前述の『4』を表しています。
「21以上を言うよ」親父は続けます。 「21『ノイチ』、22『ナラビ』、23『ノサン』、24『ノシ』、25『ヤッコ』、26『ニロク』、27『ニシチ』、28『ブ リバン』、29『ブリック』30は『ウロ』に戻る。
「ん?」とちょっと疑問があって質問しました。--私 22が『ナラビ』って言うのは2が並んでいるからでしょ、ならなぜ11も『ナラビ』にならないの?--私 うん、そう来ると思った。次に言うけど33も44も『ナラビ』と言わねえんだ。ところが55になると『メナラ』と 言う。5、すなわち『メノジ』が二つ並んでいるからな。 このあたりは規則があるようで無い、無いようである、それが符丁なのさ、規則が明確にあったら逆に意味がねえ んだ。--親父
「よーし、次いくぞ」 31『サンピン』、32『サンブリ』、33『サンザ』、34『サンシモン』、35『ゲタメ』、36『サブロク』、37『サンシ チ』、38、39は言葉がねえ。
「えー?、言葉がないの?、そう、使った事がねえ」
「3800円とか言えないって事?」 「そうだな、『サンバンとかウロバン』なんて気持ち悪くて言わねえもんな……」
「気持ち悪い……?」
「そう……」 言葉が無いとか、気持ち悪いとか、「理屈じゃない」って事が分る。でも、それで成り立ってる社会なんだ、とい うことは分かってきた。私は「親父にピッタリの世界じゃん」と納得。親父が、「理屈は苦手」なのは知っていた。 八百屋って言うと、「きちっとした職業のイメージじゃないな」と子供ながら思ってた。
その通りじゃん……
「40台は言葉が少ねえ」
42『ダリブリ』、45『ダリハン』ぐらいのもんだ。
「50台は55『メナラ』だけだな」
「60台は65『ボウズ』」
「70台は75『ナツラ』」
「80台は85『バンガレン』」
「90台は95『ガケハン』と来る」
数字が上の方に行くと、符丁は5飛びになっちゃう、途中は無しだ。
以上、親父の符丁の話はここまでです。
どうでしょう、このいい加減な八百屋の符丁、私は大好きです。
符丁を一覧にしてみました。申し訳ありませんが50年以上前の話なので記憶違いはご容赦ください。
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『アタリ』『ベン』『ウロ』『ヨツヤ』『メノジ』『ロンジ』『セイナン』『バンド』『ガケ』
11 12 13 14 15 16 17 18 19
『ドウゴ』『チョンブリ』『デク』『ソクダリ』『チョンメ』『ソクロン』『チョンシチ』『ソクバン』『ソッキュウ』
21 22 23 24 25 26 27 28 29
『ノイチ』『ナラビ』『ノサン』『ノシ』『ヤッコ』『ニロク』『ニシチ』『ブリバン』『ブリック』
31 32 33 34 35 36 37 38 39
『サンピン』『サンブリ』『サンザ』『サンシモン』『ゲタメ』『サブロク』『サンシチ』『--』『--』
41 42 43 44 45 46 47 48 49
『--』『ダリブリ』『--』『--』『ダリハン』『--』『--』『--』『--』
51 52 53 54 55 56 57 58 59
『--』『--』『--』『--』『メナラ』『--』『--』『--』『--』
61 62 63 64 65 66 67 68 69
『--』『--』『--』『--』『ボウズ』『--』『--』『--』『--』
71 72 73 74 75 76 77 78 79
『--』『--』『--』『--』『ナツラ』『--』『--』『--』『--』
81 82 83 84 85 86 87 88 89
『--』『--』『--』『--』『バンガレン』『--』『--』『--』『--』
91 92 93 94 95 96 97 98 99
『--』『--』『--』『--』『ガケハン』『--』『--』『--』『--』
それに加え、地域、市場によって符丁の方言とか、省略形があるようで、埼玉の市場に行ったら、『タメ』って言 うんで何のことかと思ったら『ゲタメ』の『ゲ』省略形だそうな。それが千葉だと『ゲタ』になるとのこと。 ちなみに、花屋さんの市場はたいがい八百屋と同じ建物なので、符丁は全く同じです。 さらに、北海道に行ったとき、符丁の方言を聞いたのですが、「北海道には符丁はないよ……」とのことでした。 今度、沖縄で符丁について聞いてみようと思っています。
おもしろいですね。これは、業界の人たちだけが分かる一種の暗号なんですね。
仕事で日々使うお父上は当然としても、伴野さんが良く憶えていたなあ、と感心します。相関が思い浮かばないものが多いという印象ですね。「面白い」コラムをありがとうございます。
以前入ってた素人バンドのサックスとベースは、半世紀以上前から職場の同僚として一緒に演奏していてフルバンド経験のある方でした。私は忙しい友人の代わりに何度かギターを弾いているうちにメンバーになったのですが、お二人は私を「トラ」というのです。聞けば「エキストラ(臨時)」を指すバンドマンの「符丁」とのことでした。