▶ある漢(男)の肖像(高22期 松原 隆文)

出典:珍らしい写真 永見徳太郎 編 粋古堂 昭和7 (インターネット公開)

小生の事務所に、90センチ×60センチの大きな白黒の写真が飾られております。かなり目立つので、来客には見えないように奥の方に飾っております。髪を総髪にして、フランス式の軍服を着、ブーツを履いて、姿勢を正して床几(しょうぎ)に座っております。左手に日本刀を持ち、右手は行儀良く膝に乗せております。多分明治2年の撮影ではないかと推測します。かなりの美男子です。これだけで誰か分かる人は、相当のファンですね。

この男、京にいた頃は、討幕派の浪士を斬りまくって恐れられました。一方、女性には大層モテたようです。京で成功を収め、その報告がてら、故郷の多摩に土産を送りました。その土産が何と、祇園や島原の女性達から貰ったラブレターでした。また彼自身、「昨日は島原の・・太夫」、「その前は祇園の・・」など、いかに自分がモテるかを披瀝しています。そして極めつきは、「報国の心を忘るる婦人哉」と詠んだ一句であります。冷徹な男がこんな一面を持っていたとは、面白いことです。

彼は、鳥羽伏見の戦いで大いに奮戦しますが、一敗地に塗(まみ)れます。その後、甲州勝沼、日光宇都宮、会津若松と各地を転戦し、最後は函館五稜郭に拠って戦い続けます。そして、明治2年5月11日、函館市街の戦いで華々しく戦死するのです。 この筋を通した男の生き方に共感を覚える者が跡を絶たないようです。私も嫌いではありません。その名も土方歳三(ひじかたとしぞう)。

彼は、武州多摩のお大尽と言われた豪農の出身ですが武家の出ではありません。つまり藩のしがらみを知らないのです。これが却って、新撰組の組織を近代的とも言えるほど合理的な組織に作り上げた秘訣なのかもしれません。歴史に「もし」はないのですが、仮に徳川が勝利して日本近代化を主導していたら、彼は差し詰め、警察庁の高官になっていたのではないでしょうか。政府に反対する不満分子の摘発に凄まじい実力を発揮したでしょうね。西郷さんも大久保さんもはたまた木戸光允さんもきりきり舞いしたことでしょう。

ところで土方さんは、今でこそ、若い女性にまで大人気ですが、以前はそうではありませんでした。私が子どもの頃まではむしろ悪役でした。たとえば大佛次郎の「鞍馬天狗」では彼は決まって典型的な悪役です。思想が全くなく、陰険で卑劣、もう最悪の男です(近藤勇は武士として描かれています)。

このイメージを一変させたのはやはり司馬遼太郎の傑作「燃えよ剣」ではないでしょうか。この作品が、従来の土方像を一変させたのです。そこで描かれる土方は、組織作りの名人、戦(いくさ)の天才、剣を取っては超一流、絶対に人を裏切らない、鉄の意志を持つなど、まあ男の魅力の全てがちりばめられているのですね。

そして昭和43年にこれをテレビ時代劇にした同名の作品も傑作でした。ここで土方を演じた栗塚旭が、「土方か?」と思わせるほど似合っていました。私はこの作品、テレビ時代劇の屈指の傑作と思います。DVDになってますので、興味のある方はご覧下さい。 時代劇のヒーローも時代と共に流行があります。先ほどの鞍馬天狗など、もう陳腐で、全く受けませんね。

話は冒頭に戻ります。土方さんがこれほど受けるのはやはりこの写真です。これを見る者はいろいろと土方について思いを巡らすのですね。何しろ二枚目ですから。彼は政治家でも何でもない、ただの剣士、あるいは軍人なので、小説やドラマの格好の主役たり得るのですね。彼は幕末の時代劇の永遠のヒーローです。もしかしたら、それを意識して写真を残したのかもしれませんね。

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