▶あまり利口そうでない若者たちと交わした会話(高22期 伴野 明)
高橋克己さんのエッセイを読んで、たまたま私に真逆の体験があったので投稿いたします。
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私が1975年にドブイタで模型店を出した当時のお客さん(当時中学三年生)、二人の話です。
「ジェジェーン、社長、受かっちゃった」--Tくん
「ジェジェーン、オレも」--Mくん
この二人は店に入ってくるときに「ジェジェーン」と登場の効果音を発するのです。私は個人事業ですが、彼らには「社長」と呼ばれていました。
「受かった? どこに……」
「ヘヘッ、県工!」--T
「エッ、県工……、すげえじゃん、県立じゃんか、んで何科?」
「ヘヘッ、造船」--T
「オレも」--M
彼らは開店当初からの客ですが、「ちょっとこのところ来ないな」と思っていたのですが 受験だったのですね。
「やったじゃん、一応受験勉強したんだ」
「全然……」--T
「オレも全然」--M
「なによ、お前等の学力じゃ普通、受からないぜ……」と不思議に思いましたが、当時の県工の造船科は応募がほとんどなく、定員割れで、解答用紙に何か書いてありさえすれば 合格だったようです。私は彼らに質問しました。
「じゃあ二人とも卒業したら造船所に就職か?」
「いや、造船所なんか行かねえ、造船なんかこれから流行らねえし、偉くなれる訳でもね え、一生貧乏工員なんてやだね……」--T
「オレはセコく工員を続けるかも」--M
ちょっと二人の考えは違うようでした。
ところが入学した二人の生活は荒れてゆきます。 Mが2年を待たず退学、Tは2年生のとき退学、以後二人はアルバイトと暴走族に明け暮れ、 シンナー遊びに耽りました。Mはシンナー遊びが高じて覚醒剤に嵌まりました。
Tは職を転々とし、荒れた生活をしながらも商売の基礎を学んでいったようです。 そうして社会の底辺を這いずった彼ですが、最後に就職した商社で気に入られ、そこの社長の応援もあって、自分の小さな店を持つ事ができました。業種は文房具の卸売りです。
それからです、彼には営業の才能があったのでしょう。やること成す事がうまく進み、といっても私は遠くから見ていただけなので彼の本当の苦労は知りませんが、約30年で直営店5店舗を経営、賃貸マンションを建て、高級車数台、数億円のクルーザーを複数所有するという、まあ、大金持ちと呼べるところにまで到達しました。
と言っても単なる金満社長ではありません、彼の店には老人介護センター的な施設もあり、社会的にも認められる物です。 その日の食事代にも困っていた彼の成功は、おそらく国内随一と思います。彼には特別なスポンサーがいたわけではありません。最初の店も、店というより、2LDKの住まい兼事務所のアパートにFAXとコピー機を置いただけだったそうです。成功は本当に彼の力です。
ところで前述のMくん、彼は覚醒剤が進んで、夢遊病患者のように横須賀の街をさ迷うようになってしまいました。そして10年ほど前ですが、どこかの駅前で倒れて亡くなったようです。
あまりに極端な二人の人生、私の店に来たときは「あまり利口そうでない」二人だったのです。彼らには夢も自信もありませんでした。二人の違いは何でしょう?
そして、高橋克己さんのエッセイに出てくる、夢と自信に満ちた大学生、「あまりに利口そうな若者たち」の未来はいかに。