▶あまりに利口そうな若者たちと交わした会話 (高22期 高橋 克己)

連休中日の24日夜9時過ぎ、ほろ酔い気分で横須賀中央から京急に乗ると、隣のボックスの学生らしき3人組が、1人が手にする「iPad」を覗き込んで談義している。画面には図形が手書きされ、ペンでそこに何やら書き込んでいる。

一人の膝をつんつんして、「それ何かのアプリかい?」と私、「Goodnotesです」と中の一人(彼)、「 そんなの使ってるの?」と私、「みんな持ってます。常識です」と彼。これをきっかけに金沢八景までの10分間、いろいろ質問してみた。

「高校生?」と問うと、大学生だと言うので「どこの学生」と私。彼は「僕は慶大医学部」と言いながら対面のiPad君を指さし「一番難しいとこ」と。「東大か」と聞くと頷くiPad君。すると隣が「僕は慈恵です」と割り込んだ。三崎に海鮮丼を食べに行き、東京に帰るところだとのこと。

「どこも偏差値75超え、頭いいんだね」と恐れ入りつつ、「高校はどこだったの?」と私。すると「僕は鹿児島ラサール、出身は岡山だけど」、対面は「筑駒」、隣は「城北」と彼。「勉強以外もいろいろやって、社会に貢献してくれよ」というと、「はい、世界を変えます」と彼は言い、二人も「うんうん」して自信満々だ。

「アルバイトは?」と聞くと、「家庭教師やってます」と彼、「小六の?」と私、「高校生です」と彼、「どれくらい貰うの?」、「時給7千円」と聞いて更にうろたえる私。

そうこうしているうち金沢八景に到着。おそらく医進系のバイトサークルか何かの仲間ではなかろうか。「あのジイさん何だ?」と話していたに違いない。

私は彼らに感心する一方、漠然とした危うさを覚えた。それは木原誠二に代表される財務官僚に感じるものと同種の、余り良くない意味でのエリート意識であり、私自身の往時とはかけ離れた、過剰とも思える利発さと自信だ。

というのも、よほど大天才でもない限り、東大や慶応の医学部に入るには、他のことを脇に置いて勉強に打ち込む必要があるだろう。が、青春期にしか経験できないことは勉強の外に山ほどある。それらの一部が欠けたまま社会の枢要な仕事を担うのはどうか、というのが私の懸念だ。

果たして日本の未来は明るいか、私の感じたものが羨望と裏腹の妬みであり、杞憂であれば良いのだが。「文武両道」の我が横高よ、頑張れ!
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    ▶あまりに利口そうな若者たちと交わした会話 (高22期 高橋 克己)” に対して1件のコメントがあります。

    1. 22期 伴野明 より:

      高橋克己さん、同感です。この年齢で「世界を変えます」とは恐れ入った。生を受けて僅か20年程度、物事がなんとなく分かるようになってせいぜい10年の若者の発言、それも「変なジイさん(失礼)」の質問に遠慮無く答えたのだから、本心でしょう。
      彼らには成績優秀を周囲におだてられた「慢心」があるのでしょう。若いから「気負い」があることは必ずしも悪いことではありません。ただ、そのまま行くと「頭デッカチエリート」になってしまう可能性があるのでは、と心配します。
      その点、我が横高生は「ちょうど良いレベルでは?」と思えるのですが、現在の横高生の生の意見を聞きたいですね。

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