▶メジャーリーグベースボール(MLB)に湧く韓国でハングルが起こした騒動(高22期 高橋 克己)

大谷やダルビッシュらが顔を揃えたMLBの開幕戦で韓国が湧きました。渡韓直前に大谷の新妻が披露され、20日の緒戦直後には、犯罪容疑が浮上した通訳の水原一平氏がドジャースを解雇されるという事件も明らかになりました。が、本稿のテーマはハングルに纏わるソウルで起きた別のMLB騒動です。

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ハングルのことは19世紀後半に世界を旅した英国の女流紀行作家イザベラ・バード(1831-1904)の『朝鮮紀行』にも登場します。日清戦争を跨いだ1894年から97年まで4度も朝鮮を訪れた紀行なので、[当時の世相に係る興味深い話]が盛り沢山ですが、[それらは別の拙稿]をご一読願うとして・・・

バードはハングル(「訓民正音」あるいは「諺文」ともいう)について大要次のように述べています。

― 1894年7月、大鳥*は朝鮮の官報を活版印刷で発行するという有益な刷新を行い、翌年1月には漢字と「無知な者の文字」だった諺文の混合体が、数百年振りに官報に用いられ、一般庶民にも読めるようになった。これに伴い、諺文で書かれた学術書や文学書が増えたことは、朝鮮人の愛国心を強め、大衆を西洋の科学と考え方に接触させるのに役立っている。―(*大鳥圭介:当時の在朝鮮日本全権公使)

ハングルは15世紀半ばに李氏朝鮮第4代国王の世宗によって考案されたのですが、長らく女子供や無学の者が使うものされて来たことはバードの記述の通りです。しかし残念ながらバードは、ハングルの復活に尽力した福沢諭吉とその弟子井上角五郎についてはまったく触れていません。

角五郎の孫、井上園子は『井上角五郎は諭吉の弟子にて候』の中で、諭吉が1883年に角五郎に宛てた手紙で「日本にても古論を排したるは、独り通俗文の力とも申すべく、決して等閑にみるべからざるものにござそうろう」と、ハングルを使うことの重要性を綴ったことを書いています。

ここでいう通俗文とは「漢字仮名交じり文」のことです。諭吉は、「漢字仮名交じり文」が明治以降の日本の更なる民度向上に寄与したように、「漢字ハングル交じり文」にも朝鮮近代化の役割を担わせようと考えたのです。それこそはバードが、「朝鮮人の愛国心を強め、大衆を西洋の科学と考え方に接触させる」と書いたことです。

諭吉の手紙からしばらく経った1885年1月、李王高宗は休刊していた政府発行紙「漢城旬報」を、ハングルを用いて再興するよう内命します。「大鳥が官報を活版印刷で発行官報する」10年前のことです。その報を聞くや諭吉は、「さっさと自費でハングルの活字まで築地の工場に注文してしまった」と角五郎の孫は書いています。

1985年11月、諭吉が築地に発注した活字や印刷機類を携えた角五郎は漢城(現在のソウル)に戻ります。この活字や印刷機が用いられて、高宗の内命から一年後の86年1月、「漢字ハングル交じり文」による「漢城週報」(漢城旬報後継紙)第一号がようやく刊行されたのです。 

こうした諭吉らの尽力もあって、先の大戦に日本が敗けて朝鮮を放棄するまでの約半世紀、朝鮮では「漢字ハングル交じり文」が広く使われていました。しかし現代の朝鮮半島では、ほぼ漢字が排されてしまい、ハングルだけが使われています。その経緯を『韓国国定高校歴史教科書』(1999年版)で見てみましょう。

― 愛国志士は、日帝の過酷な弾圧に対抗して民族文化の守護運動を粘り強く展開した。1919年の3.1運動以後、李允宰らは、国文研究所の伝統を受け継いで朝鮮語研究会を組織して国語研究に活力を吹き込んだ。彼らはハングルの研究と共に講習会、講演会を通してハングル普及に努力し、ハングル常用を奨励することによってハングルの大衆化に大きく寄与した。一方、朝鮮語学会は朝鮮語大辞典の編纂を試みたが、日帝の妨害で成功できず、日帝によって独立運動体と見做され、会員は逮捕投獄されついに強制的に解散させられた。この様なハングル普及運動は日帝の朝鮮語・朝鮮文の抹殺政策に正面から対抗した抗日運動であると同時に民族文化守護と言う側面で重要な意義を持った。―

百年前に日本がハングル復活に努力したことを忘れたかのような、実に残念な記述です。が、それは措くとして、「一見して理解できる表意文字の漢字をやめ、表音文字のハングルだけにして同音異義語が氾濫している」(『韓国が漢字を復活できない理由』(豊田有恒)ことに起因するある騒動が、MLB開催に沸く[ソウルで起きたのです]

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ダルビッシュ投手が3月15日、彼のファンが経営するソウル市内のカフェを電撃訪問しました。これを取材した日本メディアに対し、店主が日本語で「日本の報道陣は対応が丁寧でコーヒーも買ってくださるが、韓国の記者は注文もしない」と述べたのですが、これを聞いていた某テレビ局の韓国人運送手が激高したというのです。

原因は「同音異義語が氾濫」するハングルにありました。韓国語では運転手を「技士(キサ)」といいますが、「記者」の発音も同じ「キサ」なのです。このため件の運転手は、「記者」を「技士」を聞き間違えて、「韓国の運転手は貧乏でコーヒーも買えない」といわれた、と誤解したという訳です。店主はSNSでも散々非難されたそうです。

韓国通の豊田は前掲書で、「中国や韓国が日本製の学術用語などをそのまま持ち込んで、読み方だけを中国風、韓国風に変えている」こと、つまり「和製漢語」が同音異義語氾濫の原因の一つに挙げています。しばしば例示されるものには、停電と停戦、救助と構造、意識と儀式、全力と電力、課長と誇張、地図と指導、歩道と報道、紳士と神社、風速と風俗、防水と放水などがあります。

韓国の五大紙(朝鮮日報、中央日報、東亜日報、ハンギョレ、聯合ニュース)には日本語ネット版があるので、私は以前、『ハンギョレ』日本語版の記事をAIで一旦ハングルに変換し、それを再び日本語に翻訳して、同音異義語の翻訳振りを確かめたことがあります。その結果が以下で、()に元の日本語を併記しています。

― 1917年に紳士(神社)の神事を司る管理(官吏)が自宅に所蔵した宝物を調査していて発見された。‥三国時代、朝鮮半島の地理や風速(風俗)を述べるとき欠かさず引用源として言及されている『翰園(翰苑)』筆写本がそれだ。・・当(唐)代の歴史家章草金(張楚金)が660年ごろ編纂し、雍公叡が主(注)につけ、当初30巻が作られた。しかし、ほとんどが失われて、朝鮮半島三国と倭国は、匈奴と烏桓、ソンビ(鮮卑)など北方一帯の異民族を扱った「蕃夷部」1冊だけ9〜10世紀の日本に・・伝えられた。この「蕃夷部」は、高句麗の管(官)等の政治状況、綿織物などの生産基盤、鴨緑江の起源、三韓の位置、百済の連帯(年代)呼称など、県伝える(現存する)他の司書(史書)にはない珍しい記録が多数含まれているほか、今は消えて名前だけ残った歴史書『魏略』『考慮機(高麗記)』などが引用根拠として言及されて、韓・中・日の古代史研究にとって貴重な基盤資料として認められている。―

この語訳がAI翻訳の学習不足によるものなのか、あるいは表意文字ハングルの特性によるものなのか、はたまたその両方なのかは判然としません。が、韓国紙の日本語版がなかったら、私が大いに困っただろうことだけは判りました。改めて「漢字仮名交じり文」の有難さを実感します。

ハングルの同音異義語のせいで、韓国人は高度な論文が読解できないとか、ノーベル賞受賞者が出ないのはこのためだとかいった言説があります。が、私はそうは思いません。なぜなら論文の類は英語で書かれることが多いし、こと英語力については日本人より[韓国人の方が上位]でしょうから。

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