▶横須賀高校正門今昔物語(高10期 上田 寛)
横高116年の歴史の中で、学校の顔ともいえる正門は校名とともに3度変わっています。エピソードを交え正門の変遷を紹介します。
◆県立第四中学校当時
・本校は1908(明治41)年4月、神奈川県立第四中学校として開校しています。
正門は木柱にガス燈のつく大変瀟洒なものでした。校舎や運動場等教育施設は変わりましたが、今も正門は開校当時の位置にあります。1913(大正2)年4月1日、「神奈川県立横須賀中学校」と改称されたため、3月25日の第一期卒業生48名のみ「神奈川県立第四中学校」の卒業証書を授与されています。第一期の入学者は89名、卒業者は48名でした。吉田庫三校長の厳しい教育のエピソードとして語られています。
◆横中から横高初期
・横中と改称され、正門もコンクリート造りに変わりました。
1948(昭和23)年の新制高等学校発足にともない、一時期米軍政部から支給された「英語の校名板」が取り付けられたことがあります。創立40周年記念祭の杉で装飾された正門の写真に「Kanagawa Prefecture Yokosuka Upper Secondly School」と記されています。写真に写る女学生は記念祭見学者と思われます。
・通用口付き正門にはコンクリート製の門柱が3本立っていました。1956(昭和31)年9月、裏山運動場造成工事のため自衛隊豊川駐屯部建設隊(演習目的)が到着しましたが、ブルドーザー、モーターグレーダー等の大型重機が正門を通れず、やむなく真ん中の1本を壊して搬入しています。以来、門柱は2本となりました。
当時、大型建設機械は珍しく、多くの生徒や先生方も昼休みには裏山に登って見学したものです。
◆現在の正門
創立60周年の1968 (昭和43)年6月、現在の正門に改修されています。デザインは宮川敏助先生(中16期)によるもので、ペン(鉛筆)を模り、校名表示板はブロンズ製です。入学式当日は桜咲く門の前で記念写真を撮る親子連れが列をなしています。
参考:朋友77号、『百年の風』
昔は、門柱が3本あったのですね。米軍から支給された「英語の校名板」というのも歴史を感じますね。
これは、ご投稿が無ければ全然知らなかったお話です。こういったお話は、ご投稿がなければ、埋もれていったのでしょう。この場(記恩ヶ丘の会)の重要性を改めて感じました。
思うに、例えばクラブ活動でのエピソード、体育祭、催し物など、「……、そうだったのか!」みたいな思い出が沢山埋もれているはずです。皆さん、出し合いましょうよ。