▶佐々木正純先生の思い出(高22期 高橋克己)
5月15日の「恩師訃報」記事(高29期 田島節子さん)で、佐々木正純先生が22年にお亡くなりになったと知りました。
「記恩ヶ丘は重かった」に書いた通り私は柔道部でしたが、S44年2月にレスリングの県大会が横高で開催されるということで、日ごろ隣でレスリング部を指導なさっていた佐々木先生に声を掛けられ、無差別級(73kg以上)で出場したのでした。
偶さかレスリング部のある高校が県下で十指に満ず、そこで二位になった後は、佐々木先生のご指導よろしきを得て、6月の関東大会でも準優勝、8月の夏の高校総体と10月の長崎国体にも県予選に勝って出場する栄に浴しました。
こうした経験と佐々木先生の厳しいご指導は一年足らずのことでしたが、私のその後の人生の随所で有形無形に作用したはずで、それも偏に佐々木先生のお声掛けあったればこそと感謝する次第です。この場を借りてご冥福をお祈りします。
追伸
私よりもずっとよく佐々木先生の人となりをご存じの、元々のレスリング部の皆さんを差し置いて記事を書くことをお許し願います。カラー写真は先ごろ開かれたレスリング部同窓会のスナップで、私は参加していませんが、卒業写真と同じ人物が3人写っています。
レスリング部も強かったのですね。
息子が52期で在学していた時の体育祭で、すでに退職されていた佐々木先生にお目にかかりました。その頃は昔と変わらずお元気でした。
佐々木正純先生は2年次の体育担当でした。担任から今年度は佐々木先生と言われて教室では大拍手でした。
レスリングの指導だけでなくご自身が日本代表としてブラジルに行った時の70分間にわたる話はとても興味深かったことを覚えています。
棒高跳びの指導で「ヨウイチお前棒の持ち方ヘン」と名指しで言われて遠くから長い棒で頭をたたかれたことが良い思い出です。
卒業後もご自宅に呼んでいただいて何度も議論をしていただいた担任の大西昭先生と数学の試験で一度だけ奇跡的に学年2番を取らせていただいた柴崎昭先生とともに佐々木正純先生は横高三大恩師のひとりです。
佐々木先生が東京五輪のコーチをなさっていた時の強化選手で、後に東京プロレスで活躍したサンダー杉山は「懸垂がまったく出来なかった」という話も有名でした。どうりで、彼の得意技「雷電ドロップ」も仰向けの相手に、いわば尻餅をつくだけの、なんだか情けない技でした。
仲宗根先生は私が入部した当時、柔道部の顧問をなさっていましたよ。体格だけは立派な猛者相手だったせいか、パワハラもなない代わりに、彼が門外漢だった柔道の指導もなかったです。きっと怪我がない様にとだけ念じていらっしゃたのでしょう。そのお気持ち、今は理解できます。
佐々木先生のレスリング部もだし、本間先生の陸上部などもそうですが、顧問の先生とその薫陶を受けた諸先輩に恵まれた運動部はたいがい良い成績を残します。そうした意味で、目下の母校に柔道部もレスリング部もないのには、われわれ先輩連のだらしのなさも一因かと恥じ入る次第。
私も、サンダー杉山の懸垂の話は何度も聞きました。おかしかったですね。
大好きな馬場さんはブリッジできないんですけどね、懸垂も出来ないかも。
どうでもよいことですが、サンダー杉山は、東京プロレスではなくて、国際プロレスです。昭和43年1月、ルーテーズのバックドロップを喰らって悶絶してましたね。
お気の毒に。でも6組のことだから、何か気の障ることをしたのでは?
内心小馬鹿にしてたのかな? でもそれでは破棄がないことにはならないし。
馬堀中学校の北村という英語教員は教室の後ろの方の生徒を注意したのにあいつは遠いから代りにお前を殴っておくと言って前に座っていた関係ない生徒の頭を小突いていました。その後クビになったようです。
馬堀小学校の藤巻という教員は運動会の練習などで悪ふざけをしている生徒がいるとその周辺の関係ない子まで巻き添えにして全員の頭同士をかかえてごつんと押し付けていました。
こういうのは一部の教員でしょうが今では考えられないパワハラです。
随分盛り上がっていますね。私も横高の先生で一番好きなのは佐々木先生です。偏見かもしれませんが、体育の教師はふたつのタイプがありますね。一つ目は、授業で、自分と同じ能力を生徒に要求するタイプ。二つ目は全然そういうことをしないタイプです。佐々木先生は後者の典型ですね(部活は知りませんよ)。
私は運動神経が悪くてスポーツは苦手でした。唯一、陸上の短距離と走り幅跳びは並以上でした。
運動神経というのはどうにもならないもので、怒鳴られようと罵倒されようと出来ないものは出来ないのですよ。佐々木先生はそういうことを良く理解した先生でした。ある別の先生には「馬鹿」といわれました。
私はブラスバンドでしたが、その先生は体育祭の時、我々のところに来て、もっと大きな音を出せ!と盛んに言いました。人数も少ない上に大きな音を無理に出そうとすると音が割れてしまうんですね。そんなことはお構いなしです。大いに困りました。その先生が去ったあと、佐々木先生が静かに来て、「楽しくやれよ!」と言ってくれました。
クロカンの時、私は家で密かに練習してました。当日人並みに完走したら、「松原、最近体型が良くなってきたな!」と言ってくれました。この時の言葉は今でも覚えております。
教師は自身が自覚する以上に生徒に影響を与えるものです。
先生への印象はそれぞれ違うんですね。
ブラスバンド顧問の大西昭先生は6組担任で僕の人生に影響を与えてくれた5人の恩師の1人ですが運動会の練習でもっと大きな音を出せと言ったとは知りませんでした。
大西先生がそんなことを言ったんではないですよ。
顧問でもない(だから吹奏楽のことなんか全く分かっていない)、体育のその先生が来て、大きな音を出せ!と言ったんですよ。
そうでしたか。
勘違いして失礼しました。