▶千葉の若い職員のプロ意識に感謝(高22期 高橋 克己)

「若い職員」と書いたが、年齢を聞いた訳ではなく私の想像だから、きっと20代後半から30代後半まで幅があると思う。

本題に入る前に経過を説明すると、袖ヶ浦の特養にいる91歳の叔母(父の妹)の面倒をこの4月から私が見ることになった。それまで世話をしていた市原在住の義従兄が82歳の高齢だからだ。4月18日、7年分の確証類、通帳と金銭出納帳の入った段ボールが到来した。

独身の叔母は長らく十条のアパート暮らしだったところ17年1月に倒れ、市原在住の従姉が袖ヶ浦の特養に入所させたのだ。ところが、それで心労が重なったか、その従姉が3月に心筋梗塞で急逝してしまい、以来、義従兄が支払いなどを行なって来たという次第。

私の父は東京の向島で昭和2年に生まれ、姉と弟と妹(件の叔母)の4人兄弟。父は10代で海軍を志願し、横須賀の母の実家に下宿してそのまま母と所帯を持ったので、私は東京の父方の親類とは50過ぎまで、即ち父が亡くなるまで、全くといって良いほど没交渉だった。

叔母の特養入所後に市原の義従兄から連絡があり、叔母の年金と施設等への支払いとの差額が年に20万余り生じるとのことなので、私と姉でその過半を負担して来た(他のいとこらも負担したかも)。が、これも義従兄が従姉の遺志を継いでして来た労苦のことを考えれば、当然のことと思う。

そんな4月29日午前、特養からの電話が鳴り、叔母が骨折して木更津の病院に入院したので来て欲しいと。押っ取り刀で木更津駅へ向かい、タクシー(5800円也)で特養に行って1.5時間ほど様子を聞き、生活相談員の若い女性と一緒に木更津の病院に着いたのが18時だった。

認知症が進んでいるうえ痛みがあるらしく、また殆ど面識もないので、叔母は私が誰か判らない。医師は股関節が折れているので人工骨を入れる手術を明日したい、一週間ほどで退院できるだろうと。他に方法がない様だし、1日7千円の個室料を考えれば長引くのは困るので承諾した。

翌4月30日も朝から、木更津(病院)⇒五井(市原市役所)⇒袖ヶ浦市役所⇒木更津を回って20時に帰宅した。手術は無事済んだようだった。市原と袖ヶ浦の市役所に行ったのは施設使用料と要介護ランクとの関係に疑義が生じたからだ。

29日に施設で受けた説明に拠れば、今の叔母のランクは要介護4の4段階だが、条件次第では1ランク下(要介護4の3段階②)の施設料になる可能性があるという。差額は月45000円と大金だ。条件とは年金額、配偶者や資産の有無などだという(一体、7年間どうしていたのだ)。

先ずは介護保険料支払先の市原市役所へ。介護支援課のベテラン職員は持参した叔母の年金通知書を見て、住民税課税があるので収入面ではランクは下がらない。が、障害者控除をしていないなら、その申請が通ればランクが下がるかも知れない、「あくまで可能性だが申請しますか」という。

「30日に申請が通れば4月分から適用される」と特養で聞き、横浜から駆け付けたのだから「申請するに決まっている」とは言わなかったが、お願いすると障害支援課の若い女性を呼び、遡及5年分の申請書5通を作ってくれ、これを特養のある袖ヶ浦市役所の課税課へ持って行き、申請せよとのこと。

ただし、遡及するのは介護保険料と高齢者医療保険料であり、施設費への対応は4月以降になるとのことだった。ベテラン職員は極めて慎重だったが、別の課の若い職員を直ぐ呼ぶ辺り、横の連携は悪くないなと感心した。13時に入り、出たのが14時45分だった。

袖ヶ浦市役所へは16時に着いた。課税課の担当は30代半ばの男性職員で左薬指に指輪をしている。彼は、障害者控除を受け付けるが時節がら反映は6月分からになるという。「はい、判りました」と引き下がる私ではないので、次のように穏やかに申し上げた。

「4月30日に申請すれば4月分から反映されると特養で聞いたので、こうして二日連続で横浜から駆け付けた。市原市も直ぐに対応してくれて、これを持って袖ヶ浦市役所を訪ねなさいと。だのに役所の都合で反映されないとは。2か月分9万円は誰が補填してくれますか? これは納税者や保険料納付者の権利を蔑ろにするもので、到底承服できません」

「その通りです」とは言わなかったが、彼は40分ほど掛けてハンドで対応してくれ、4月分から反映される運びになった。が、「これは特別です」と念を押された(やればできるんじゃないか)。斯くて施設利用料は4月から引き下げとなり、介護と高齢者医療の保険料は5年間遡及して還付となった。

そこで表題の「千葉の若い職員」のことになる。一人目は袖ヶ浦特養の生活相談員。29日16時から説明をしてくれ、「おむつ」などの消耗品を積んだ車に私を乗せて木更津の病院まで同行し、判らないことだらけの私に極めて親切に対応してくれた。しかも、私の乗った高速バスの見送りまで。

市原市役所の介護課の方はベテランだったが、障害者支援の女性は若かった。部屋を見渡すと7割方が女性で多くが皆さんまだ若い。そして白眉は袖ヶ浦市役所。「特別に」ハンド処理してくれた男性はもちろんだが、もう一人の若い男性が頻りに市原市に問い合わせをしていた。

別の女性職員は保険料の口座振替を別の窓口に行ってしてくれ、さらに別の女性は木更津年金事務所に申告すると、今回の障害者控除後の所得に応じた高額医療費の限度額低下による差額の過去2年分の還付が受けられるとのことで、年金事務所の連絡先を教えてくれた。

で、5月1日に年金事務所に連絡した。結局、障害者扱いとなったことで、医療費の上限額が下がることになり、昨日からの木更津の病院の医療費と、過去2年分の高額医療費(があれば)にも反映され還付されるとのことであった。袖ヶ浦市役所のフロアも6割方は女性職員で、総じて若い。

終業時間が迫っていたせいもあるのかも知れないが、寄ってたかって世話を焼いてくれ、私をして袖ヶ浦に移住しようかと思わせたほどだった。

以上、さも判っているかのように書いたが、きっちり理解している訳ではないので、きっと不正確な箇所があると思う。

    ▶千葉の若い職員のプロ意識に感謝(高22期 高橋 克己)” に対して3件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      余談です。木更津駅⇒特養はタクシーで30分、乗ったタクシーの女性運転手は所在を知らず、ナビを頼りに向かいました。聞けば未だ1ヵ月というので、道中事情を取材してみると・・・
      大型Ⅱ種も持っていて、それまでコープの宅配ドライバーを7年していたが、正規社員への登用制度がなく、バツイチ(子はなし)の身で将来に不安を覚えたのでタクシー運転手に転身した。80歳の母が一人暮らしで、自分が世話を焼いているが、会社員の兄夫婦は何もしてくれない、兄嫁には親兄弟もいないのに、とこぼす。
      私は、いずれお母様もこれから私が行くところの世話になるだろうから、今のうちに兄夫婦が面倒を見る形に、心を鬼にして、移行しないといけない。兄嫁は実の娘の世話焼きに頼る面もあるだろうし、自分がしゃしゃり出ても、と遠慮する気持ちもあるかも知れないと付け加え、そのためには、5月から私は一切世話を焼かないので、何かあればお兄さんに話をして欲しいとお母様にいうべき、と強く勧めました。
      そうこうするうちに目的地に到着し、お釣りの200円を進呈する羽目に。多くの人々にとってこうしたことが身近な問題であることを、身に沁みて実感した30分間のお代としては格安でした。

      1. 加藤麻貴子 高22期 より:

        お疲れ様でした。
        疎遠になっておられたご親戚の面倒を見られるとはなかなかできないことです。タクシーの運転手さんのお話のように親御さんのことでも、お世話から逃げてしまう人が多いのが世の常です。それなのに血縁とはいえ金銭の面、非常時の対処まで引き受けざるを得ないとはご苦労なことです。でも千葉の若い職員さんたちの善い応対に出会えて良かったと思います。
        「兄嫁は実の娘の世話焼きに頼る面もあるだろうし、自分がしゃしゃり出ても、と遠慮する気持ちもあるかも知れないと付け加え」と人の機微にふれたアドヴァイスに感心しました。
        今、町内を見渡せば半数以上が70歳以上です。ご夫婦であるいは一人で暮らしておられます。あと10年すると80歳以上、自立して暮らしていけるのか心配なところです。

    2. 和田良平(高17期) より:

      大変なことでしたね。親族とは言え、疎遠の関係では・・・。なかなか出来ることではありません。私だったら・・?考え込みますね。世の中高齢化社会で、若者の数は減っている。それもずっと前から減り続けてきた。国民の問題ではなく、政治の問題というのははっきりしていますが、さて、どう変われるでしょうかね?

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