▶横須賀高校旧制中学校校歌「坂東武者」と高校応援歌「勝利を目指し」

高22期 高橋揚一

【YOUTUBEの解説文】
この音楽と静止画は「神奈川県立横須賀高等学校記恩ヶ丘の会」の支援によって公開しています。「記恩ヶ丘の会」を検索いただくと、その他多くの情報を確認いただけます。

神奈川県立横須賀高等学校には2つの校歌があり、一つは旧制中学校校歌「坂東武者」、もう一つは新制高校の校歌です。新制高校に変わってもなお旧制中学校校歌「坂東武者」は愛され、OBOGの集まりや校歌祭などでも歌われ、応援歌としても使われています。

最も古い楽譜に従って作成しましたが、もしかするとOBOGの方々には、もう少し早いテンポで勢いを付けて歌われているかも知れません。ここでは最初の2音が8分音符になっていますが、付点8分音符と16分音符で記憶されているかも知れません。「学生時代」を想い出しながらご高聴ください。

ここでは、第一応援歌として親しまれている「勝利を目指し」もメドレーで続いています。

以下は「記恩ヶ丘の会」より引用の「坂東武者」の歌詞解説です。

・坂東武者(ばんどうむしゃ):関東生まれの勇猛な武士。衣笠城を最後まで守った三浦義明が代表的な坂東武者です。

・衣笠城址(きぬがさじょうし):平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島に勢力を伸していた「三浦一族」の本城の「衣笠城」があった所で、今は「衣笠城趾」と書かれた石柱だけが建っています。

・四方寸土(しへんすんど):正方形の少しばかりの土地という、へりくだった言い方です。横高が建っている土地は、かつては、曹源寺の境内で1町(109メートル)四方の広さがあり壮大な伽藍が建っていました。横高の敷地内からは当時の古い瓦もたくさん出土しています。

・獅子吼(ししく):獅子吼とは、お釈迦様が大衆に恐れることなく説法する様子を獅子のほえる様子にたとえたものです。

・法塔(ほうとう):衣笠十字路の近くに法塔十字路という地名が残っており、そこに日蓮上人に由来する古い法塔が今でも残っています。

・剛健努力(ごうけんどりょく):規律正しく、困難なことに出会っても挫けることなく強い意志と逞しい精神をもって乗り越えること。

・報本反始(ほうほんはんし):中国の「礼記(らいき)」という書籍に出ている言葉で、「天地や祖先などの恩に報いること。天地や祖先などの恩恵や功績に感謝して、これに報いる決意を新たにすること」という意味です。本(もと)に報(むく)い始(はじ)めに反(かえ)ると訓読します。反るとは恩返しをするということです。漢学者でもあった吉田庫三校長が、当時の日本の国情に合わせて皇室尊崇の精神と結びつけ建学の精神としました。

・記恩ヶ丘(きおんがおか):1915(大正4)年11月10日に、本尊として明治天皇の尊像が奉られ尊像鎮座式(そんぞうちんざしき)が行われました。鎮座式では御霊入れが行われました。その時に社殿を報本祠(ほうほんし)と称し、祠が建っていた場所を「記恩ヶ丘」と呼ぶようになりました。記恩ヶ丘は、グランドに登る途中の坂道に面した丘陵地です。記恩ヶ丘に祀られていた明治天皇の尊像は、現在は神奈川県立歴史博物館に保管されています。

・高野辰之さん(作詞):1876(明治9)年、長野県生まれの国文学者、作詞家。「故郷」、「朧月夜」、「もみじ」、「春が来た」、「春の小川」などの作詞者としても知られています。学校の規則や精神をよく理解し、剛健努力・記恩ケ丘・報本反始・愛と敬などを読み込んで作詞されています。

・信時潔さん(作曲):1887年(明治20)年、大阪市出身。大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。東京音楽学校教授。「海ゆかば」の作曲者として有名です。作詞の高野辰之先生とは、音楽学校時代の同僚です。

    ▶横須賀高校旧制中学校校歌「坂東武者」と高校応援歌「勝利を目指し」” に対して7件のコメントがあります。

    1. 岡花(高31期) より:

      高橋様、楽曲動画ありがとうございます。
      体育祭が隔年開催となってから、「坂東武者」も歌えない横高生も多く、まして「勝利を目指し」はなおさらです。この小気味よいリズムに改めて耳にすることができることをうれしく思います。

    2. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

      コメント有り難うございます。
      以前は「運動会」と言っていましたが「体育祭」になりましたか。
      隔年ではつまらないですね。
      「文化祭」は3年おきで、1年の時だったのでまったく参加できませんでした。
      「坂東武者」は最も古い楽譜からの正調ですので、ちょっとゆっくり気味かも知れません。
      「勝利を目指し」は作詞者に電話がつながらず、作曲者も不明なので、ご存知の方がおいでになりましたら、お教えいただけると有難いです。

    3. 山崎正幸 より:

      懐かしく拝見させて頂きました。26期山崎正幸と申します。

      【勝利を目指して】の作曲者についてですが。曖昧な記憶で恐縮ですが。

      横須賀高校の音楽教師だった五十嵐(青山)光子先生だったかもしれません。

      20期ぐらいまでの合唱部のOBOGならご存じかもしれません。

      1. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

        コメント有り難うございます。
        五十嵐光子先生かも知れないのでしたか。
        私は美術を選択希望したのに音楽の選択クラスに入れられましたが、その方が良かったと思っています。
        五十嵐光子先生には最初の授業で校歌や応援歌を教わりました。
        次の授業ではトマス・ムーア作詞のアイルランド民謡「春の日の花と輝く」を歌いました。
        そこまでで入院されてしまい、帰らぬ人となってしまいました。
        その後代用教師の方々が入れ替わり、湯川晃平先生が定着されました。
        湯川晃平先生も故人になってしまわれました。

    4. 饗場元二 より:

      「勝利を目指し」懐かしく拝聴いたしました。私は高10期の饗場元二と申します。陸上競技部のOBです。昭和32年6月8日~9日に行われた神奈川県高校陸上競技選手権大会で、私達が高校3年の時に我ら横高陸上競技部は、初優勝をいたしました。その時に皆で輪になり「勝利を目指し」を高らかに歌ったのが未だに脳裡からはなれません。その後、我が横高陸上競技は、1964年(昭和39年8月6日~9日)東京オリンピックの年に、大阪長居競技場で行われた第17回インターハイで、見事に全国優勝を果たしました。この時は、高17期の皆さんが中心で見事な偉業を果たされました。横高陸上競技部顧問の本間慎司先生のことを忘れてはなりません
      先生は、生徒たちと一緒になって陸上競技の練習・指導に当たってくれました。全国大会優勝も本間先生のおかげです。本間先生本当にありがとうございました。

       
       

      1. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

        コメント有り難うございます。
        陸上競技部県大会初優勝、インターハイ全国優勝でしたか。
        皆様立派な業績で、私などはいつもズッコケていましたので、お恥ずかしい限りです。
        教室の後ろでたむろしていると、掃除道具のロッカー近くにたまたま居合わせた者が周囲にいた者たちから寄ってたかってロッカーに押し込められて上の小さい穴から黒板拭きをパタパタやられて髪が真っ白になって出てくるというストレス解消ばかりやっていました。
        特定な人ではなく、クラスメイト全員が何度も被害に遭いましたのでいじめではありませんが、こんなことばかりが記憶に残っています。
        本間慎司先生は我が担任と同じく髪型に特徴がありましたので良く覚えています。
        「勝利を目指し」以外にも運動会では各色の応援歌もありました。
        「紫の旗の下に〜」や「ここは相模の衣笠の町か、衣笠の町なら横須賀高校、エッサコリャコリャ」だとか、思い出します。

    5. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      本日、応援歌作詞者の高3期中村齊(ひとし)さんから電話をいただきました。
      90歳のご高齢ながら一言一言しっかりした口調でお話し下さりました。
      在学時はプールができる前で、池上中学のプールを借りて水泳大会が開かれたそうです。
      中村齊さんは御成中学や馬堀中学などで英語や養護指導をご担当されていたそうです。
      作曲者は高26期山崎正幸さんからお教えいただいた五十嵐(青山)光子先生とのことでした。
      当時応援歌は4曲あって職員会議で諸々の議論がされたようです。
      本日2022年2月6日は当方70歳古希誕生日でこの上ない朗報となりましたので、報告させていただきました。

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