▶昭和100年物語

「昭和100年物語」より7曲をYouTubeに公開しました。(12月28日 高22期 高橋揚一

https://www.youtube.com/channel/UCHarSuLzS_3xUd6nljA0T-Q

<懐かしの馬堀海岸>
京浜急行馬堀海岸駅は、かつては目の前に海岸が広がる海辺の駅だった。
夏になると駅前の道路に面して仮設のゲートが造られ、そこを潜ると現在の西友の場所に京浜急行の大きな海の家、隣からは多くの中規模な海の家が現在の横浜横須賀道路の下あたりまで並び、右端にはスマートボールなどの遊技場も仮設されていた。
浜辺はきめ細かく柔らかな砂で~(以下YouTubeの「もっと見る」を参照下さい)

<横須賀昭和の物語>
横須賀駅には昭和30年代前半頃までB20という国鉄最小の蒸気機関車が2台働いていた。
2番線ホームから向かい側に停まっているB20が眺められた。
アメリカ製のディーゼルカーDD12は昭和40年代まで現役で、横須賀駅前左側の臨海公園脇の引込線を米軍基地まで行き来していた。
戦艦三笠は砲台などの施設が撤去されて~(以下YouTubeの「もっと見る」を参照下さい)

<走れ昭和の京浜急行>
京浜急行電鉄デハ230形電車が主役だった頃の特急電車は、品川発浦賀行きが基本だった。
正面は大きな3枚窓で赤と黄色の2色の塗装。
浦賀行きの前面サボは空色で特急は白い三角マークが入り、上に赤い文字で浦賀と縦書きされていた。
湘南久里浜行きの前面サボは~(以下YouTubeの「もっと見る」を参照下さい)

<横須賀駅から観音崎へ>
横須賀駅を出て左側に京浜急行と三浦交通のバス乗り場が並んでいた。
1番乗り場は観音崎行きで、京浜急行の緑と赤のボンネットバスが停車した。
乗降扉は中央に1ヶ所のみで、開閉は車掌さんが行った。
運転席の脇までビニールのロングシートが設えられ~(以下YouTubeの「もっと見る」を参照下さい)

<土曜日は半ドン>
昭和の頃、土曜日の業務や授業を昼で終了する会社や学校が多くあった。
半ドンのドンには諸説あり、明治期から昭和初期まで空砲で時を知らせるところが多く、正午の空砲がドンと鳴ったことに由来するとも言われる。
休日を意味するzondagというオランダ語が訛って~(以下YouTubeの「もっと見る」を参照下さい)

<しゃぼんだまのうた>
<ポプラはなんでも知っている>

昭和45年(1970年)創設の武蔵野美術大学フォークソング部で翌年発表された最初のオリジナル2曲。
「しゃぼんだまのうた」と「ポプラはなんでも知っている」のABセットで、50年以上経過してようやく公開に至りました。
当時のOBOGは皆アラ古希になってしまいましたが、ご高聴いただけた同世代の方々には末長く若さを保って元気にお過ごしください。

    ▶昭和100年物語” に対して4件のコメントがあります。

    1. 匿名 より:

      あー楽しかった。聴きごたえ、そして、貴重な写真が見ごたえがありました。
      この投稿資料は貴重ですので、歌詞を声にして、どこかで大々的に公開したいですね。映像をパワーポイントで映しながら、いろいろな人がメロディーを歌う。こんな企画できそうですね。
      コロナが一段落したら、企画したいです。
      2021.12.23.山田茂雄

    2. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      コメント有難うございます。
      横須賀や京浜急行の古い写真を提供下さった方々に感謝しています。
      歌っていただける方を探しています。
      「昭和100年物語」は先のヨーロッパの鉄道3曲を含めて全部で10曲あり、あと2曲未公開ですが、具体的な場所の曲ではないので、どのような画像をどのように並べれば良いか模索しています。

    3. 廣瀬隆夫 より:

      どの曲もすばらしいですが、「土曜日は半ドン」は昔を思い出します。半ドンの土曜日は、同僚とランチビールを飲むのが楽しみでした。日曜日の夕方のサザエさんを観ると暗い気持ちになっていました。良い時代でした。

    4. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      コメント有難うございます。
      半ドンの土曜日って独特な解放感がありましたよね。
      高校時代は水泳部の練習で辛いこともありましたが、サボって帰宅して大橋巨泉の「ビートポップス」をテレビで見ながら遅めの昼食なんて最高の気分でした。

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