▶8月21日没後55年、五十嵐(青山)光子先生の思い出

7月21日 高22期6組 高橋揚一
(YouTube 高橋揚一チャンネル)

五十嵐(青山)光子先生は、1951(昭和26)年4月に神奈川県立横須賀高等学校に赴任されました。偶然にも、昭和26年度は、私たち高22期の生徒たちが生まれた年度に当たります。高22期6組は全員が音楽選択で、1967(昭和42)年入学の直後に先生の授業を2回受講しました。初回は音楽室のわずかな段差で転ばないようにとの注意と、2種類の校歌と応援歌の紹介でした。

2回目の授業で教科書に掲載されていた「春の日の花と輝く」を歌いました。男子生徒だけの高22期6組にとって、唯一の女性である先生は、眩い春光のように輝いて映りました。しかし、それが最後の授業となり、先生はご病気で入院され、同年8月21日、若くして帰らぬ人となりました。

ご逝去の六日後、音楽部OBの高11期山田茂雄先輩の弔辞やOBOGの合唱による音楽葬が講堂にて営まれ、約1,300名が参列して別れを惜しみました。その1ヶ月前に、合唱コンクール神奈川大会に優勝した音楽部員の一行が、入院されていた先生に報告に赴いた際には、ほほえみを浮かべて部員たちの手を握られたそうです。

神奈川県立横須賀高等学校校歌「天がける白雲」は、先生が東京藝術大学で同級だったご縁で團伊玖磨氏に作曲していただいたそうです。高22期6組の最初の音楽授業で、先生は、この校歌より旧制中学校校歌「坂東武者」の方が人気が高く、いまだによく歌われるとおっしゃっていましたが、両曲とも個性ある自慢の校歌として評価に値すると思っています。

それ以上に、先生ご自身で作曲された応援歌「勝利を目指し」は、爽快なメロディで、今でも末永く親しまれています。

    ▶8月21日没後55年、五十嵐(青山)光子先生の思い出” に対して5件のコメントがあります。

    1. 石渡明美 より:

      音楽室の様子が懐かしいです。当時の様子が蘇ってきます。
      休み時間・放課後入り浸っていました。
      残念ながら23期は五十嵐先生には教わることがなく、先輩からも主人からも素晴らしい先生だとお聞きして、一度お会いしたかったなぁと今でも時々思います。
      「勝利を目指し」は先生の作曲だったのですね。初めて知りました。
      (ちなみに私、書道クラス、音楽部、大人になってからはOB合唱団)

      1. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

        コメント有り難うございます。
        私は選択科目に美術を希望したのに音楽選択になってしまいました。
        でもそのお陰で五十嵐(青山)光子先生の授業を受けることができました。
        私のクラス22期6組が最後に歌った「春の日の花と輝く」を勝手に追悼歌としてしまいましたが、他期他クラスではもしかしたら違う歌を歌われたかも知れません。
        私は水泳部だったので音楽関係の部には縁がありませんでしたが、たった2回の授業でも「春の日の花と輝く」も五十嵐(青山)光子先生も強烈な印象でした。
        「勝利を目指し」の作曲者を明記した資料を見つけられずに不明でしたが作詞者の高3期中村齊先輩から直々に電話をいただいて五十嵐(青山)光子先生の作曲だったと知りました。

    2. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      「勝利を目指し」作詞者の高3期中村齊先輩が2022年7月27日に逝去されました。
      奥様から電話をいただき90歳で天寿を全うされたと伺いました。
      五十嵐(青山)光子先生が赴任される前に横高を卒業されていますので、卒業後の作詞なのか、在学中に作詞された後に五十嵐(青山)光子先生が作曲されたのか、その経緯を伺ってコメントしたかったのですが、叶わなくなってしまいました。
      中村齊先輩のご冥福を祈念いたします。

      1. 廣瀬隆夫 より:

        中村齊さんがお亡くなりになられたのですね。中村さんを偲びながら、もう一度「勝利を目指し」を歌いました。「横高、横高、我らが母校」というフレーズに深い母校愛を感じました。素晴らしい応援歌を残していただきありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

    3. 高15期   岡田須美子 より:

      こんにちは。まさに,盛夏!!今も、自室のエアコンの中にいます。
       五十嵐光子先生の記事を読みました。私は、選択科目は書道でしたが、1年、2年と音楽部に所属しましたので、五十嵐先生にはその間ご指導をいただきました。
       おきれいで上品な雰囲気の先生でした。あの曲の作曲者と、初めて知りました。素晴らしい才能をお持ちでしたのですね。
       先生のことも含めて、また、横高が好きになりました。

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