▶大事故すれすれの不思議な体験

人生、長い間生きていると一つや二つは不思議な事を体験するものです。なぜあのタイミングで事件が起きたのか、偶然にしては不思議過ぎる。あるいは事例が繋がり過ぎる、まるで何らかの意図があって誰かが操作しているようだ。そんな体験を皆さんお持ちではありませんか?(高22期 伴野明)

そういう事ってスピリチュルだと言われます。よくあるのは虫の知らせとか金縛りに会うなど。UFOをよく見る人もいるようです。私はそういう体験は全く無いんです。見たいけど見えない。ところが不思議な実体験は非常に多い。あるプロの運転手、その人は四十五年も運転手をやっておられるそうですが、彼に聞くと「事故を起こした後の現場はたくさん見たけれど、自分が事故に遭遇したのは一度だけ」それも隣を走る他の車の人身事故だったそうです。

ここに示した体験はほとんどの場合、自分自身が被害者になるか加害者になるか紙一重でした。作り話ではありません。実際に大事故を起こしていたら私はここにいません。私はプロの運転手ではありませんからそんなに頻繁に車を使う訳ではありません。仕事で時々車を使う程度、しかし、事故すれすれの驚愕の事例がなぜかこんなにあるのです。

Consolidated Vultee Aircraft Corp.「空飛ぶ車」1947年 https://www.mikipress.com/m-base-archive/2018/09/74-1.html

■ メッキ屋に部品を届ける途中で危険なことが三連発
1990年ごろ、私はある金属部品を横浜のメッキ屋に届けなければならず焦っていました。部品の工場は横須賀にあり、受け取って今日中に渡さないと来週のメッキ作業に間に合わないのです。いつも通る狭い近道に入りました、あと200mほどで工場に着きます。100mほど行くと立て看板がありました。「工事のため通行止め、迂回してください」とあります。その先を鋭角に左折すれば100mで工場に着くのです。

「エーッ通れない……」、「もっと手前に看板出してよ」と腹が立ちましたが、ここに車を置いて工場まで取りに行っても20kgもある部品を抱えて来るわけにも行かず、道が狭いのでUターンも出来ません。「全力でバックして……」と決め、後ろを確認しました。平荷台の軽トラックだったため後ろはよく見えます。遠くに子どもが一人、バットを持ってこっちを眺めているのが見えました。

「オッケー、ゴー」とアクセルに足を掛けたその時、こめかみに「パチッ」とはじかれたような感触がありました。「ん……」と一瞬ためらった直後、トラックの荷台の後ろから子どもの顔が「ヌッ」と出てきたのです。そうなんです車の真後ろに子どもが潜んでいたのです。「エーッ」と血の気が引きました。子どもはボールを拾いに車の後ろまで来ていたんです。

「あー良かった……」ひき殺すとこだった。そういえば少し手前の空き地で子どもが野球をやっていたのを思い出しました。私は体がプルプルしながら車を降り、念のため車の下、周りをグルッと回って再確認、ゆっくりとバックして工場に向かいました。

「時間ギリギリ間に合う」とちょっとアクセルは強く踏み16号線を上りました。この先には横須賀署があります。そこでは時々「ネズミ取り」をやっているんです。ややスピードを落としました。近づくと「今日はやってない」と確認できたので、「スピードを上げよう」と思ったと同時に「さっき運良く危機回避できたし、ネズミもやっていない」という状況が「何か胡散臭い」と思えたんです。横須賀署の直前まで来て「ここで人が飛び出したりして……」とニヤッとしました。その時「アッ」横須賀署となりの公園からサッカーボールが道路に転がり出てきました。その後を追って子どもが。

「だろう……、なんだよこの出来すぎの展開は……」と今度は腹が立ってきました。同時に「時間ねえんだよ」とアクセルを強めに踏んだのですが、「また何かあったりして……」と次の交差点は信号「緑」信号待ちの歩行者はおばあさんと若い男の二人。と念を押して確認し横断歩道の手前まで来ました。「キューッ」、急ブレーキを踏んで車が少し斜めになりました。おばあさんが赤信号なのに一人でスタスタと道路を渡りだしたんです。もう言葉も無くおばあさんが道路を渡り終えるまで待ちました。

いけません、それから先は渋滞して制限速度40kmのノロノロ運転。結局メッキ屋には間に合いませんでした。この件を時々思い出しますが、事故を未然に防いだ、こめかみの「パチッ」は何だったのでしょう。

■ 踏切でパニックになった男を助けた話
2003年ごろでした。東急大井町線に等々力という駅があります。その駅の踏切を徒歩で渡る途中のことでした。日産マーチぐらいの乗用車が踏切の真ん中で止まっているのです。「なにやってんだこの人は……」と足を止めて車中を見ると40歳ぐらいの男性が少し前屈みで何かやっています。「ははーん、エンストか?……」と見ていると、どうしてもエンジンが掛からないようなのです。「これ、ヤバイ……」とこちらも心配になり、「どうしたんですか?」と声を掛けるんですが返事がなく、ひたすらガサガサ何かやっています。

「カンカンカン」恐れていた事態、電車が来て警報が鳴り出しました。「おい、エンジン、エンジンダメなの……?」と声を掛けるんですが、男は目を見開いて真正面を向いたままです。「ヤバイ、パニックになってる」と理解した私は「ニュートラル、ニュートラルにして」と叫ぶのですが男は固まって動けません。「もう、どいてどいて」と窓から男を押しのけ強引にシフトレバーをニュートラルに入れました。同時に周りにいる男に「押して、押して」と声を掛けると二、三人の人が応援してくれました。

時間にすると一分間ぐらいでしたが車を踏切から押し出すことに成功しました。その後駅員が駆けつけたように思いますが、そのままそこを離れてしまったのでどうなったか知りません。「人はパニックになるとああなるんだ」という話です。

■ 屋根から落ちた大事故に遭遇
年が前後しますが、1999年だったと思います。横浜横須賀道路逗子インター近くの下り線、私は左社線を走っていました。「ビュッ」と白い車が相当な速度で右車線で追い越して行きました。私が100kmぐらいだったので150kmは出ていたでしょう。私の50mぐらい先に白いバン、当時出たばかりのトヨタグランドエースが走っていました。ここから先はまるで映画の特撮シーンみたいです。

その高速の車が次の逗子インターで降りるために急に左に寄りました「アッ」と声が出そうになりました。ハイエースが衝突を避けるため左に急ハンドルを切ったのです。車は横滑りしながら道路脇の土手を上り宙に舞いました。車の高さ以上だったので3mぐらい浮いたと思います。回転して屋根から道路に落ちました。私は急ブレーキを掛け1m手前で停車。すぐハザードを点滅させ車を見ると、屋根は潰れて半分ぐらいになり、前輪が取れてブラ下がっている状態でした。

「運転手は?」と思いましたが、とても手が付けられる状態では無いと判断し、すぐ近くの非常電話に走って行き通報しました。記憶では直接警察に繋がったと思います。事故の状況を話すと「運転手さんは怪我をしていますか?」と聞いてきたので、「車の壊れ方から見ると、無事ではないと思います」と答えると、「分かりました、あなたはそのままそこに居てください」とのことでした。「さて、助け出せるかな……」と恐る恐る車に戻ると、なんと窓から運転手が這い出るところでした。

「大丈夫です」といって運転手は道路に座り込み、「話すのが辛そうだな」と私も黙ってそばに座って救急車を待ちました。原因の車は接触しなかったのでそのまま行ってしまい探せないでしょう。ちょっとタイミングがずれていればこの車は私の頭上に落ちていたかもしれません。その時は緊張していたので特になにも感じなかったのですが、後で何度もあのシーンがフラッシュバックしました。Youtube動画でドライブレコーダーでの事故映像はたくさんありますが、屋根から落ちたものは見たことがありません。

■ 人身事故スレスレの大事故
2000年ごろの事故です。仕事で静岡方面に行った帰りの上り車線での事です。私は一番左車線を走っていました。御殿場を過ぎて私の前に2トンぐらいのアルミバンが走っていました。高速の流れより遅い速度だったので追い越そうと私が右車線に移ったところ、それを遮るようにいきなりその車が右に寄ったのです。「ウワッ」ブレーキを踏んで交わしました。するとそのままさらに右の車線まで斜行して行きます。「アッ当たる」と私は叫びそうになったのですが右一杯まで行ってガードレールすれすれの所で反転しました。

今度は左に斜行です。「これ、居眠りか?」と私は居眠り運転を疑いました。左車線の私の前に戻った訳ですが、「あぶないなぁ」と私は通常より車間距離を空けることにしました。そのまましばらく、といっても2~3分ですが真っ直ぐ走っていたので「目が覚めたかな……」と思い、また追い越すタイミングを探っていたのですが、アルミバンはウインカーも出さず右に移り、90kmぐらいで中央車線で走り続けました。高速の流れは100km近かったので、速い車がどんどん追いついてきます。

「遅いなぁ」みたいな感じで追い越しにかかるのですが、私の時と同じようにアルミバンが左右にフラフラ走るので後続車が皆、接触スレスレで追い越して行く、その繰り返しになりました。「これは絶対事故になる」と私は確信したのですが、運転中に携帯で110番するわけにも行かず、どうしようもありません。あいかわらずアルミバンは右一杯、左一杯のジグザグ走行を繰り返しています。下りで大きな右カーブにさしかかりました。私が走っている左車線には大型観光バスが走っていてアルミバンのジグザグ走行のサイクルからして「これ、当たるぞ」と直感しました。

「バリバリバリ」といやな音がしてカーブの内側から外側を走る観光バスの横腹にちょうど寄りかかる感じで接触です。バスは押されてフラつき、危なかったのですが持ち直しました。「あーやっちゃった」と私は停車して110番しようと思ったのですが、なんとアルミバンはそのまま速度を上げて遠ざかって行きます。バスも一旦止まるつもりでスピードを落としたのですが、逃げるアルミバンを猛烈なスピードで追い始めました。「ブワー」っとバスのエンジン音聞こえるほど「怒りの塊」みたいになって。

全てを見ていた私は「ポカン」としてしまって追う気になれませんでした。2~3km行くといました。バスがアルミバンを強引に路肩に押しつけるような形で止まっていました。「人身事故にならなかっただけ幸い」と私は止まらずその場を去りました。仕事場に帰ってコーヒーを飲み、さっきの事故を思い起こしました。地図を開いて、「ああこのカーブだったな」と指でなぞっていたんですが、「足柄上郡山北向原……」地名を見て愕然としました。「ここ、あの大事故のあった場所じゃん……」

あの大事故とは1995年過積載のトラックが観光バスに接触、バスは左の壁に激突、屋根が吹き飛んで3人が死亡、多数の重傷者が出た事故です。一歩違いで私が巻き込まれていたかもしれません。尚、この件は確かな交通事故なので警察に記録が残っているはずです。

■ 正面衝突一歩手前を回避
標題の通り事故にはならず、その場面に遭遇しただけで私が絡むことはありませんでしたが、あと1mで正面衝突でした。暗かったので午後8時ぐらいだったと思います。横浜から16号線を下り横須賀へ向かっていました。杉田あたりの交差点で赤信号で停止して、私の前にライトバンが1台いました。信号が青に変わり動き出そうとすると前の車が動き出しません。ちょっと待っていたのですが1分ほど待っても動きません。しかたなくクラクションをを押そうとした瞬間動き出しました。「何かに気を取られていたのか」と思い、後に続いたのですが、右に左にブレ始めたのです。前記のバス事故が思い浮かびました。「おいおいまたかよ……」と思い、車間を開けます。例によって道路一杯に左右に斜行するので追い越せません。

「いやだなヤバイ事故は勘弁してよ」と思いながら後に続きます。根岸線のガードを越えたあたりでちょっとスピードが上がり右カーブを越えたところで「わっ、またバス」、反対車線にバスが見えました。ライトバンは斜めに走って反対車線に入って行きます。「あっ当たる」と思った瞬間、バスがピタッと停車しました。ライトバンは反対車線に入ったときバスに気がついたようで、急停車。対向した状態でバスとの距離1mでした。バスの運転手が冷静に前を見ていたようで、事故に至りませんでしたが、なんでここまで事故に遭遇するんだろう?

■ 30センチずれて命拾い
メッキ屋に届ける時に乗っていた軽トラックで戸塚から横須賀に向かう途中でした。特に何の前触れもなく走っていて、缶コーヒーに口を付けた瞬間、右に一瞬車が見えました。「ドーン」と勢いよく真横から衝突されました。こちらが優先道路だったので、相手の一時停止無視が原因です。軽トラは真ん中で折れ、結局廃車になりました。あと30cm衝突箇所が前にずれていたら私は大怪我だったでしょう。

■ 追突されて天地が逆転
2005年ぐらいでした。自宅へ帰る途中です。夜11:00ごろ横須賀の根岸交差点を信号青で普通に通過した時、左に車のライトが一瞬見えたと思ったら「ドーン」と衝突されました。結構な勢いだったので私の車はズズーと滑ってゆっくり横転。一瞬、自分がどうなっているのか、どちらが上か下か分からなくなりました。

「ああ、こっちが上か」と気づき、上側になっているドアを開けようとしたのですが開きません。「ヤバイ、閉じ込められた……」と焦るがやっぱり開かない。「何でだ、壊れたのか……」とパニックになりそうでした。「火が出たわけじゃない、焦るな」と自分に言い聞かせると、「あっ、そうか」と気づきました。ドアが重かっただけでした。普通ドアが軽く開くのは車が垂直だからドアの重さは感じない訳です。横転すると20kgぐらいのドアの重さ全部を押し上げなければならないのです。

ドアは開きました。ノソノソと外に出ると人が立っていました。「大丈夫……?」、「大丈夫、どこも痛めてないみたい」と私、「俺、真後ろで事故、目撃したからさぁ、証言してやるよ」と言ってくれたのはタクシーの運転手でした。「あれ、相手は?」と聞くと、運転手さん、「逃げやがった。私が110番したからパトカー来るよ……」、「すいません」、「そこで休んでなよ……」。しばらくすると救急車とパトカーが到着。なんと逃げた車も戻ってきました。私の車は完全に折れてまた廃車、病院に着いたら首が少し痛くなってきましたが、症状はたいしたことありませんでした。

これらの体験は、いわゆる「呪われている」レベルです。この先、また何かあるでしょうが恐れてはいません。私、悪いことは何もしていませんから。

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