▶小学校同窓会・名簿作り奮闘記(高22期 高橋 克己)
母校坂本中学校へは、坂本小、汐入小、そして我が青葉小から進学した。1964(昭和39)年4月の新入生は9クラス450人だった。青葉小からは72人だったから、卒業生79人のうち7人が私立中学に進んだはずだ。これは全くの推測だが、坂本小から220人前後、汐入小から160人ほどだったか。
坂本中に入って直ぐに新入生テストがあり、結果が職員室に張り出されているとの情報が流れたので見に行った。1番は2人が同点で、片方が坂本小、他は青葉小で、ともに栄光学園に不合格だった。汐入小の栄光不合格が4番だった。3番だけが栄光受験とは無縁だったが、誰だったかここでは触れない。
坂本中から横高へ進んだのは25名前後だったと記憶する。このうち青葉の72人からは私を含めて5人だった。偶然なのか当然なのか判らないが、小中ともにその6%ほどが横高に進学したことになる。
なぜこんな話から始めたのかといえば、卒業60年にして初めての青葉小同窓会の幹事として、名簿作りに先ずは朋友会名簿95年版を使ったから。結果、1人は亡くなっていた。2人は横須賀と東京にお住まいで連絡が取れた。残る1人S君(新入生テスト1番)は信州大学医学部を出て、同大付属病院の医師とある。
南安曇野郡とあるが郵便番号が3桁なので調べると、安曇野市に地番が変わっていた。市以下には名簿通りの住所を記した封書をポストに入れ、電話かメールを待つこと10日、出した手紙が我が郵便受けに戻って来た。確か「♪出した手紙も~今朝ポストに舞い戻った♪」という歌があったなあ。
封筒には「あて所に尋ねあたりません」と赤スタンプが押されている。住所に自信がない当方はてっきり住所が違うのかと思いつつ転居の可能性もあり、近所の郵便局へ赴いた。顔馴染みの職員さんにスタンプの意味を問いながら、住所の間違いか住人違いかを宛先の郵便局に確認してくれるよう頼んだ。
待つことしばし、住所は正しいが別人が在住と判明した。手掛かりが途絶えたが諦めの悪い私は、信州大学附属病院に賭けた。即ち、同院サイトの問い合わせフォームに当方の素性と目的を綿々と書き込み、定年退職しているであろうS君にそれを転送のうえ、彼から私に連絡を取ることを依頼したのだ。
それから10日ほど経つが、病院からもS君からも音沙汰はない。確かに、件の問い合わせフォームには「個人情報には答えられない」と書いてある。が、転送されたフォームを見て連絡を取るか取らないかはS君の意志に委ねられるのだから、病院にとって個人情報の漏えいには当たるまいに。
もう1人の方は所在が判明した話。小学校の頃に頭を刈って貰った近所の床屋の娘Kさんは、小4で転校して来た。Kさんの父親は若い頃その床屋で修業をしていたが、後に他へ移ったかまたは独立していた。戻って来たのは、床屋の先代が亡くなって父親がそこを引き継いだからだ(とは私の推測)。
Kさんの兄上が横高生だったことを思い出した私は、朋友会名簿を繰った。兄上の住所にも、便箋に綿々(くどくど?)と理由を書き、Kさんから私に連絡を取ってくれるよう書き添えて、ポストに入れた。
Kさんからの音信を待つ間に、別の手も打った。床屋の跡地は、今は隣の八百屋の駐車場になっているのだが、その八百屋の主人が横高の2年後輩なのだ。私は八百屋を訪ね、隣にあった床屋の娘の所在を知らないか、と尋ねた。するとさすがは八百屋、「駅前の大きなマンションだよ」と教えてくれた。
礼を述べつつ買ったミカン6個450円也の入ったレジ袋を手に、駅前に赴いた。が、9階建てのマンションの郵便受けには部屋番号しか記されていない。当世のマンションが皆そうかといえば、必ずしもそうではない。住んで36年になる我がマンションは、149戸全てに部屋番号と居住者の名前がある。
が、そこは管理人も不在。試しに2階と3階の各戸の表札を見てみたが、どこも部屋番号しか出していない。諦めて一階に戻ると住人らしき女性と出くわした。「管理人さんはいませんか」と聞くと「午前中だけよ」とのつれない返事。またしても手掛かりが途絶えたが、この期に及んで諦める訳にはいかない。
私は社会に出て直ぐ青葉小の学区汐入3丁目を離れたが、そこにはまだ同地の主然と暮している姉がいる。むろん姉はKさんを知っていて、聞けば、以前は道で会ったがここ最近は見掛けないという。私は姉に、午前中に件のマンションに行って、管理人にKさんの部屋番号を聞いてくれるよう頼んだ。
数日後、管理人さんから「教えられない」といわれた、と姉。が、姉弟性格が似ているのか、更に食い下がると、管理人さんがKさんに連絡してくれた。上階から降りて来たKさんは姉に、「今さら同窓会?」と訝りつつも「考えてみます」とのこと。それから数日して、Kさん兄上宛の手紙も舞い戻った。
その他は平成8年と13年に作成された坂本中の同窓会名簿から拾って、79人のうち46人の住所が判明し、うち4人が亡くなっていた。幹事役数名の連絡網で14人と連絡が取れ、案内状の発送は28通になった。3分の1は赤スタンプ付きで戻ってくることだろう。苦労したので30人の出席を期待したい。
最後に一連の作業の感想を述べれば、何といっても過度とも思える個人情報保護の風潮だ。所属団体などに問い合わせてもまず教えては貰えない。固定電話に出ることも稀で、私も8軒に架けて出たのは2軒だけだった。一般家庭から固定電話が消える日も、そう遠くないのではなかろうか。
電話や郵便やeメールなどを駆使した巧妙な昨今の詐欺の手口からして、仕方ないかとも思う。が、60年経って、日本も諸外国並みの社会になってしまったなあ、と実感した名簿作りの話でした。願わくはS君が「記恩ヶ丘」のサイトの愛読者であることを祈りつつ筆を置きます。
去年、中学の同窓会の幹事をやりましたのでよく分かります。本当に同窓会をやろうとすると本当に苦労します。個人情報保護法が出てきて、過剰反応が増えて窮屈になりました。以前、こんな記事を書いたことがあります。
https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/2019/09/02/privacy/
同窓会名簿作りはエキサイティングですね。僕は馬堀小学校13期同窓会幹事代表を務めていて、45歳同窓会宴の時に名簿を作成しました。一緒に幹事をしてくれた神奈川県警捜査一課刑事がかなり詳しく調べてくれたので、ほぼ全員の連絡先が判明しました。ところが「私は90歳ですから違うと思います」などの返信が届いたりして該当しない同姓同名者も数名いました。
6年前には入学60周年記念同窓会宴を開催し、この3月には卒業60周年同窓会宴を開催します。
これまでは横須賀中央のセントラルホテルで6時間懇談放題食べ放題をしましたが、今回は汐入のホテルハーバーの会場のみを借りて、スシローとガストから出前して6時間通しで楽しみます。
女性幹事は皆健在ですが、男性初代幹事は私以外全員他界してしまいました。そんな年齢なので今回が最後の宴になるかも知れません。
官憲を使うとは意表を突く発想! 同姓同名事件も笑う。少し長くなりますが年齢の件では私にもこういう珍経験があります。
リタイア直後にゴルフをよくしていた頃、Tポイントカードを登録しておくと、いちいちフロントで記入する手間が省けると知り、その目的のためだけに登録しました。
斯くて始めて現場のフロントにカードを出したところ、受付嬢がPC画面と私の顔を交互に何度も見比べるのです。
「なにか?」と私、「お客様は90歳?」と受付。登録の時、生年欄に26と入れたのですが、「昭和」ではなく「19」だったのです。つまり1926年生まれの90歳という訳です(大笑い)。
話は戻って、余りしつこいとストーカーと間違われれるかも知れず、困った世の中になったものです。
先日スーパーのレジでワインを買ったら「年齢確認商品です」との音声が流れたので、すかさずマイナンバーカードを見せたら「えっ」っていう顔をされて「大丈夫ですよ」と言われました。
同窓会名簿の作成は、私のような市役所職員OBを持ってしても至難のワザとなってしまいました。日本がなにかさつばつとした社会になってしまいましたね。
随分と地域によって異なるのですね。私は三浦市立南下浦中学校(地元では南中といいます)を卒業しました。南下浦小学校と剣崎小学校の生徒が全員南中に行きます。我々の頃は4クラス176人でした。 平成4年から、ずっと発起人代表をやっています。我々はクラス単位ではなく学年でやります。原則4年に一回、オリンピックの年に行うことを原則としています(コロナで平成28年以降途絶えていますが)。
日程が決まると6か月も前から私の事務所で月に1回の会合を持ちます。これが楽しいのですね。みんなで、どこでやろうかとか何時からやろうかなど、わいわいやります。だから発起人がいつも10人ほどになります。まず最初に行うのは、手分けして、以前の名簿に記載してある電話番号に電話します。住所が変わりないかを確認するためです。繋がらない場合は友人や親族などに聞いたりして再度電話して住所を確認します。これは同窓会通知の往復葉書を出すために必要な作業です。また最新の名簿を作るためでもあります。どうしても分からない人は空欄ですが、ごく少数です。
出席者には同窓会当日、最新の名簿を渡します。大体50~60人出席します。個人情報のこともあり前回は発起人のみんなで名簿を配るか検討しましたが、全員が今までのとおりで良いと言いました。次回は欠席する人には住所を載せて良いか、往復葉書の通信欄に記載することも考えております。
松原さん、それは都会と田舎では違いますよ。三浦は農家が多いので、土地が大事でしょう。おっと、司法書士先生には釈迦に説法でしたね。冗談はさて措き・・
当時、私が住んでいた汐入三丁目は横須賀名物の谷戸、ちこく坂を挟んだ我が方(レンガ山)には10数人、向こう山にもほぼ同数が住んでいました。
60年経って、今も当時の実家に住んでいるのは、驚くなかれたったの一人です。彼がそうとは言いませんが、気の利いた人は多くは久里浜より南に引っ越しました。今回、4丁目も同じ様だと判りました。
私の実家と姉の住まい(私も新婚から3年暮らした)の間に8軒ありますが、全て空き屋です。
追伸
今回は往復葉書ではなく、案内のチラシを入れた封書にしました。理由は単に、私にPCとプリンターで往復はがきを印刷するスキルがなかったから。
返事はチラシに記した私のemailアドレスかスマホのSMSに返信でくれるように書きました。が、きっと大半が通話して来ることでしょう。LINEをやる人は結構います(特に女子)が、今回、メールをやらない人が(PCのない人も)多いことが判ったので。
名簿を封書に同封することも考えましたが、戻りの数を予想すると無駄になるし、emailで返信が来れば添付送信で済むし、SMSと通話の出席者には当日配れば良いし、でやめました。と、ここまで書いてemail以外の欠席者には別途送らねばならないと気が付きました(トホホ)。
横高22期の還暦の同窓会後小中の同窓会がありました。名簿作りが一番の要で手間がかかります。小学校のクラス同窓会はとてもまめな人がいて、30年近く前の名簿を頼りに皆に連絡して開かれました。恩師も含め20名ほどが同窓生の家に集い手作りの料理も並ぶ温かな会となりました。中学の同窓会は昨秋幹事を担当、還暦の頃にも開いていたので名簿作りに苦労はありませんでした。それまで10年おき位に学年同窓会を開いてくれていた幹事さんのお陰でした。
今回の60年振りの名簿作りで、すっかり私が「まめな人」になってしまったかも。
この話でこんなに盛り上がるなんて、すべて「個人情報保護法」のお陰かな(笑)。
私が平成四年に幹事になった際、しっかりした名簿を作りました。それを少しずつ訂正するだけです。市外に住んでいる人もかなりいますが、何しろずっと三浦に住み続けている強固な集団がいますからね。今年辺りはやらないそろそろやらないといけないかも。