▶春に因んだ母校の偏差値と若い教師たちの話(高22期 高橋 克己)
先日、お孫さんが県立光陵高校に合格したと知人からLINEが入った。「それはすごいじゃないか、おめでとう」と、光陵がなかなか優秀な高校だと知っていたのでお祝いをいうと、偏差値は65で横高と同じと折り返して来た。
偶さか、先ごろ本欄に寄せた「小学校の名簿作り」の話の中で、我ら1951年生まれ70余名の同級生から5人が横高に進み、中学からも450人中25名余りが横高に入ったので、小中ともに6%ほどが横高に進んだ、と書いた。
偏差値とググってみると、偏差値65=上位6.68%、66=5.48%とあり、上位6%は偏差値65と66の間(65+アルファ)だった。が、私のは1960年代の話で横高の偏差値65は今の話だ。そこで60年前の偏差値を検証してみた。
横高22期の定員は400人だったが今は280人で、30%減った。横須賀の人口は1960前半が約30万人、2023年は38万人弱で27%増だ(年齢別は不詳)。全国の1951年生は約210万人、2008年生は109万人(48%減)だ。
定員減が30%で両年生まれの全国人口比は48%減だが、横須賀の人口は27%増。この3要素で推計すると、人口が48%減なら定員は本来208人(400x0.52)、これに横須賀の人口増分27%を乗じると264人だから、定員280人は少しだけ多い(計算、合ってるかな)。
とすると60年前の方が今より若干狭き門だから、6%の偏差値65+アルファとほぼ見合う。加えて近年は近隣の私立高校のレベルが上がり、それらへ流れる横須賀三浦の優秀な生徒の数も増えていることだろう。ここは母校の在校生と教師に一層の奮起を促したい。
というのも昨夜(3月1日)、横高教師15名ほどと某所で遭遇したのだ。友人と飲酒放談していると店主が、横高の先生方が卒業式か何かの二次会に見えるという。現れた教師ご一行の若いのには驚いた。「横高の先生? 僕は22期だよ」と名乗り出た私に目を丸くしている。
「えーっ、今年の卒業生は76期ですよ」と彼ら。その差54年は計算が合う。「猪熊先輩と乱取りしたのに、柔道部がないとは淋しい。レスリング部も」とこぼすと、年長らしい一人が「佐々木先生?」と、往時のレスリング部顧問の名前を知っているではないか。
しばし歓談したかったが、店主にやんわりたしなめられ元の席へ。すると今朝、店主からLINEで「横高の先生は違いますね」と。行儀が良いというのだ。重畳だが、むしろ私は少々羽目を外しても、柔道部復活と偏差値70を目指すぐらいの元気が欲しいな、と思う。(おわり)
偏差値はよく分かりませんが、我々の頃(12期、1957年入学)の横高はもちろん定員400名。うち女子は50名程度。私の卒業した馬堀中学校はこの時の卒業生511名で、横高には33名が進学。地域の成績の良い者がみな横高に入ったとの仮定なら、上位6.5%になりますが、当時は県立大津高が女子高なので、女子はそちらに進む者も多い。(当時から大津もタテマエ上は共学だったが、男子はほとんど受験しない。それでも毎年1,2名が合格したが、共学反対論者の横高の中川鋭三郎校長が、「可哀そうだ」と言って横高に引き取っていた―という話を聞いた記憶があります。真偽未確認ですがー)
さらには小学校から私立6年制に進む者も居ましたが、後に進学校になる栄光学園は発展途上で、むしろ慶応普通部の方が人気があった。しかし小学校(豊島小学校)の同級生で慶応に進んだ者の記憶はない。
我々の頃は、中卒でそのまゝ就職する者も半分近く居たように憶えています。良い企業に就職できると、「なまじ高校に行くよりは」と考える者も少なくなかった。あれやこれや考え合わせれば、地域全体の上位10%程度、というのが妥当な処でしょう。
何よりも、当時は親も子も「学力第一」とは考えていませんでした。「腕白でもいゝー」という、丸大ハムのCM以前の世代です。