▶ベトナムの防大留学生とコロナ禍の卒業式(高22期 加藤 麻貴子)
2020年3月31日、ベトナムの二人の留学生H君とT君が日本を後にした。彼らは防衛大学校の留学生で2010年に来日し日本語研修生として1年、本科4年、研究科前期後期合わせて5年の10年間、小原台で学んできた。本来ならばご家族も来日して盛大に卒業のお祝いをする予定であった。しかしコロナである。卒業式は卒業生だけ出席となり家族はYouTube配信で式の模様を観るという前代未聞の事態となった。
私たちは彼らの日本の父母である。防大には留学生協力家庭(ホストファミリー)制度があり留学生を支援している。在学中は協力家庭が家族のような役割を果たす。防衛省や防大から指名されるものでもなく全くのボランティアである。長期の留学生、短期の欧米からの研修生も含めると防大は一般の人が考える以上に国際色豊かである。
1958年からのタイの留学生が最も古く、1990年代にはフィリピン、マレーシア、インドネシア、ベトナム、モンゴルが加わり、2000年代には韓国、カンボジア、東ティモール、ラオス等から留学生を受け入れている。1998年に初めてタイの留学生を受け入れてから今までに10名の留学生の親となっている。休日に遊びに来たり防大の行事に出向いたり下宿している大学生の息子がいるようなものである。
ひょんなことから引き受けるようになり早20年以上、これほど長く続けるとは思わなかった。本当の子どもたちが巣立ち、度々訪れる彼らから若者の感覚と知識と異国の話をもらっている。防大生とは云え10代後半から20代の普通の若者である。時に励まし、愚痴を聞き、郷里の家族や恋人の話など他愛のない話題で盛り上がる。
2020年1月25日(旧暦元旦)ベトナムの留学生たちがテト、旧暦の正月の祝いを催し手づくりの料理でもてなしてくれた。バインチュウ、フォー、生春巻き、揚げ春巻き、ポトフなどの手作りのベトナム料理が並ぶ。毎年恒例の行事であり、美味である。私達の世代はテトと言うとテト休戦を思い浮かべるが、今では平和の象徴である。彼らにゴジンジエム政権、グエンカオキーなどの話をすれば「歴史に詳しいですね」と返ってくる。ベトナム戦争は彼らが生まれる以前のこと、すでに歴史である。それでも27,8歳の学生の中には両親が幼い頃に、その父親、即ち祖父ををベトナム戦争で失っている者も多い。
コロナ感染の脅威が迫る2月4日防大で留学生、教官、ホストファミリーの懇親会が催された。その数日後卒業にかかわる謝恩会、午餐会等全ての行事の中止が決まった。残念である。以後テトの祝いも懇親会も未だに開かれていない。2月半ば過ぎ、論文発表を終えたH君とT君を伴って富士山を観に御殿場方面にドライブ、帰路に寄ったアウトレットや横浜の中華街は、人影はまばらでまるでゴーストタウンのようであった。
そして3月半ば、卒業生の家族を代表してH君の妹が来日し、彼らが帰国するまで我が家にステイすることとなった。聞けば飛行機の乗客は数人で座席は使い放題でとても楽だったそうだ。3月21日は卒業式、卒業生だけが出席し、家族や関係者はYouTubeで故・安倍首相、河野防衛大臣(当時)、来賓のonline出席のリーチマイケル氏などのスピーチ、通常の式次第であるが何ともやるせなかった。
例年、卒業式の夕方には協力家庭主催で留学生全員と来日家族と卒業お祝いの会を催してきた。会食後の防大校歌や「栄光への架け橋」を皆で肩を組ん度で歌う様は圧巻であった。それも中止だ。26日が離日予定であったが前日にフライトはキャンセルとなり次の予定は決まってない。彼らは帰国できるのか?
30日に大使館からフライトの知らせがあり、翌日3人は帰国の途についた。4月1日ベトナムは入国の扉を閉じた。
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写真を2枚掲載いたします。フォトブックは、彼らが卒業した時に私が作成したものです。桜の木は、防衛大学校が創設された時に庭に植えられたもので、撤去せずに残された山桜の古木です。
国の守りの要である自衛隊、その幹部養成の最高峰である防衛大学校は横高と繋がりが深く、偶さか、斎藤隆第二代統合幕僚長(高18期⇒防大)も「記恩ヶ丘」を登って陸上競技に汗を流されたと、ご本人からお伺いしたことがあります。
横須賀の街で防大生を見かけるたび、つい話しかけてしまいます。先日、散髪屋の順番待ちで隣に座った防大生は沖縄出身の一回生でした。初々しいが眉の濃い凛々しい面立ちで、頼りにしてるよと言うと、ハイと答えたものでした。
その防大で東南アジアからの少なからぬ留学生が学んでいて、横高卒業生のご家庭がホストファミリーとしてサポートする。彼らが学を修めて帰国した暁には、祖国の守りの要路に就くはずで、日本との絆もさらに深まる。素晴らしいことだと思います。
防衛大学の留学生をホストファミリーとしてご支援されるということは、すばらしいことだと思います。「私たちは彼らの日本の父母である。」という言葉に感動しました。たいへんな国際貢献だと思います。私ごとになりますが、私の娘も、1年間、海外の高校に留学してホストファミリーのお母さん、お父さんのお世話になりました。
ホストファミリーとして留学生の面倒を見る、仮に何らかの国としての制度があったとしても大変な事です、それがボランティアとは驚きです。
彼らが日本にいる間のエピソードなど、可能ならお聞きしたいですね。
そして彼らの日本観も知りたいです。
コメントを下さった皆様へ、
そんなに大層なことをしている訳ではありません。時々遊びに来て一緒に食事をしたり、たまに遊びに出かけたりとこちらも楽しんでおり、お陰でヴィヴィッドな生活をさせてもらっています。確かに2020年の3月はスリリングな体験でした。国防のことなど余り考えたこともありませんでしたが、ここ数年はやはりhuman protect も大切なことと思うようになりました。読んでくださってありがとうございました。