▶ベトナム訪問記 ①ハノイ(高22期 加藤 麻貴子)

さて、ベトナムに無事帰国したT君とH君(※)は頗る楽しい隔離生活を送り研修を済ませ勤務に就いたそうだ。コロナが終息する2022年初夏、彼らから結婚式への招待が相次いで届いた。T君のは急すぎて間に合わなかったが、H君のは検疫はあるものの海外渡航もできそうなので出席することとした。
※ ▶ベトナムの防大留学生とコロナ禍の卒業式

日本のODAで建設された空港からのハイウェイ、ニャッタン(日新)橋でソンホン河(紅河)を渡るとハノイ市街に入る。ニャッタン橋は2015年に完成日本の新しい橋とい命名されている。ハノイは河内、文字通り河に囲まれたデルタ地域の都市である。

フンさんとは20年来のつきあいで、龍眼・ライチ・チュンチュン(ランブータン)を束ねたブーケで歓迎してくれた。ベトナム滞在の後半はフンさん家族と過ごすことになっている。

● 7月16日(土)
新婚のT 君夫妻がハノイ市内を案内してくれた。交通事情には驚いた。朝夕の渋滞はかなりのものらしい。自動車も多いがバイクも多い。クラクションを鳴らしながら強烈な自己主張で道を進んでいく。強気で運転しなければいつまでたっても目的地には到着できない。

しかもスマホを見ながら、操作しながら運転するのである。スマホが普及した10年を日本で過ごしたH君はとても彼らの真似は出来ないと言う。1台のバイクに3人乗りはざらで4人乗りの時もある。お父さんが運転、お母さんは後ろ、間に子供をはさんでいる。交通ルールや信号も少ない。

フンさんは事故が多いので何とかしなければと言っていたが、滞在中事故を見たのは一度だけである。交通ルールも信号も多い日本でも事故はかなりある。対向車の様子をみながら阿吽の呼吸で運転するのも1つの方法かもしれない。しかし道路を横断するのは至難の業に思えるが渡り始めれば何とかなるそうだ。移動はタクシー、アプリで呼ぶと大体5分足らずで来る。非常に便利である。

ハノイの旧市街ホアンキエム区を観光用の電気自動車で巡る。ドンスアン市場では山盛りの日用品に埋もれた店員が客には目もくれずスマホをいじっている。古民家のマ・メイ(Ma May)は中国色が濃く、広場にはフランス植民地時代の大教会が聳えている。背の高い並木は木陰をつくり、木々の合間から仏教寺院の漢字が覗く。

天秤棒を担いだ物売りもいれば、路上で店を広げる者もいる。現在も過去も富も貧も混在した街で人々は必死に明日の豊かさの為に働いている。暑さと湿気の中、強烈なエネルギーを感じて眩暈を覚える。ベトナムは若い国なのだ。

さて昼食の時間である。T君が「タインさん家族が待っています」とタクシーに乗る。タインさんも防大の元留学生でT君の先輩で時々我が家に遊びに来ていた。30分程で高級住宅地の一角のレストラン「ブンビースー」に到着。オバマ大統領も食したという「ブンチャー」を食べ乍ら、再会を喜びあい互いの近況を話す。

タインさんはすでに軍隊を辞め韓国系の企業で働いている。在学中にすっかり日本びいきになった彼は小3の息子を日本人学校に通わせている。その子は年齢相応の日本語で自在に話していた。奥さんのズォンさんは日本語が堪能な才女で日本滞在中、二人の子どもを近所の保育園に預け通勤2時間をかけ東京の企業で働いていた。フンさんもズォンさん含め私の会ったベトナムの情勢は聡明な上に内に秘めた強い力を持っている。

午後、T君夫妻、H君、私達はワゴン車でハノイから40㎞のH君の故郷の村ミーハオ(My Hao)に向かった。市街を離れると水田風景が広がり、蓮畑の赤い花、白いガチョウの群れをアクセントに街路樹に囲まれた道路を走り、小さな村を時々通り抜ける。

そして、ミーハオ村に到着、するとカラオケの大音響が鳴り響いている。結婚パーティーの前夜祭がすでに始まっていた。(続く)

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    ▶ベトナム訪問記 ①ハノイ(高22期 加藤 麻貴子)” に対して2件のコメントがあります。

    1. 廣瀬隆夫 より:

      バイクの群れに天秤棒を担いだおじさん、そびえ立つハノイ大聖堂、不思議な街ですね。果物も美味しそうですね。続編が楽しみです。

    2. 高橋克己 より:

      現役の時は海外もあちこち行きましたが、いつも仕事優先で、サグラダファミリアすら通りすがりに車からチラと見ただけ。ハノイも然りで、確か07年7月のサッカーアジアカップの日本代表戦も、夜行便で帰る空港までの道すがら、歓声渦巻くスタジアムの周りを一周しただけだったのを思い出しました。
      さて、10年間も我が子のように接した留学生から結婚式に招待されるとは、さぞホストファミリー冥利に尽きることでしょう。写真を見ると、バイクの群れも果物売りも、またライチや釈迦頭なども台湾とよく似ています。但し、日本人学校は、高雄では日本人パスポートを持つ子弟が入学出来ました(約3割が台湾人ママでした)が、ハノイは基準が少し緩いのかも知れませんね。  
      続編が楽しみです。

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