▶「大勲位博恭」雑学は身を助ける その2(高22期 松原 隆文)
だいぶ以前の話です。仕事で市内のある漁業関係の会社へ行きました。2階の広いフロアに入り、自分の名前を告げて社長室へ案内してもらいたい旨述べました。数十人の社員がいましたが、皆一様に下を向いてしまいました。しかも静かすぎるほどの沈黙なんですね。もう一度同じことをやや大きめな声で言いますと、別の部屋から私と電話でやり取りした課長が素っ飛んで出てきて、私を社長室へ案内してくれました。
この会社の社長は、以前に公用で私と1年ほど一緒だったんですね。だから面識もあるのですが、全くその風情を見せません。私が持ち込んだ書類に淡々と目を通し、必要な書類や印鑑等を用意し始めました。その間、私は部屋を見渡しましたが、社長の性格でしょうか、余計なものが全く置いてありません。偶々私の座っているソファーに面した壁に目をやりますと、B5版位の、あまり大きくない、しかも、だいぶ茶色に変色した表彰状が掲げてあります。何かと思って見てみますと水難救助の表彰状なんですね。何と、昭和17年10月に授与されたものです。授与者の名前が、「大勲位博恭」と記され、大きな印鑑が押印されています。
私は、「社長、伏見宮ですね。」と言いました。社長は大いに驚きながら相好を崩し、「いや、これを伏見宮と分かるのはかなり少数ですよ。松原さん、大分歴史が好きと見えます。」と仰るんですね。私は「いいえ、偶々知っていただけですよ、偶々です。」と言いました。本当に偶々知っていただけなんですが、社長はなかなか納得してくれませんでした。ついでに「これヒロヨシ、って読むんですよね。」と調子に乗って言いますと、「・・・」でした。そしてなんと帰りがけに文庫サイズの本を2冊ほど渡されました。これを読んで感想を聞かせてほしい!ということで、宿題を渡されたようなものですね。
渋々読みましたが、伏見宮が軍令部総長(海軍のトップ)を退官したあとも、東郷元帥と共に、昭和の海軍に大きな影響力を持っていたという批判的な内容でした。二週間程経って、またその会社へ行きました。仕事が無事に終わって、書類と借りた本を返しに行ったのですね。社長は、まず本の感想を尋ねましたが、私は前述のことを述べました。
社長は打ち解けた様子で、近くの海岸が隆起したことなど興味深い話を、写真や資料を見せてくれながら、いろいろ教えてくれました。そこで、私は偶々伏見宮を知っていた理由を告げました。私の父親が乗っていた駆逐艦に、伏見宮の子息が乗船したときの話を、私が高校生位の時に父がしてくれたこと、それを思い出したのだということです。
すると社長は「松原さん、ヒロヨシではなくヒロヤスと読むんですよ」と教えてくれました。私に恥をかかせたくない思いがあったのか、いきなりは言わなかったんだと推察します。それに、かなり古い会社ですから他にも表彰状などがあるはずですが、水難救助という人命に関わる行為の表彰状しか飾っていないことにも、ある種の奥ゆかしさを感じました。
話が弾み、「昭和17年10月というのは、いわゆる連合艦隊最後の勝利といわれる南太平洋海戦があった正にそのときですね」と言いますと、「ああ、ポートモレスビーの攻略ですね」とさりげなく仰るのですよ。それから江戸時代後期の宮家のことなど話題は尽きそうにありませんでしたが、浅学のボロが出ると困るので、早々に失礼しました。
仕事で知り合った人とこういう会話が出来るのは嬉しいことですね。雑学も良いものです。
またまた雑学炸裂! ところで、なぜ「ヒロヨシ」と読むに至ったのか、その経緯を知りたいです。「恭」を漢和辞典で調べると、名前に使う読みが17個載っていますが、10人中9人は「ヤス」(音読みなら「キョウ」)と読むように思うので。
小生の浅はかな直感的間違いでしょうね。ただ公家の名前は独特で、一般人と異なるものも多いんですよね。例えば明治天皇の皇后の御名は美子ですが、これ、ハルコって読むんですよね。
なろほど。"ついでに「これヒロヨシ、って読むんですよね。」と調子に乗って言いますと、「・・・」でした。" の一節から、そのこと(直感的間違い)と社長さんの優しさが読み取れます。