私の健康法

私は、四十歳くらいから体力の衰えを感じて、五十歳くらいには家の階段を上るのさえつらくなっていました。というのも、体重が今より10キロほど重く、会社の定期健康診断では、メタボリックシンドロームというレッドカードが出されていました。脂肪肝も指摘され、医者からは、このまま放っておくと長いことないよ、とまで言われました。

貝原益軒の養生訓を読んでいますと病気になってからジタバタしても手遅れで、日ごろの生活の中で病気にならないように養生しないとダメだ、書いてありました。そこで、毎日の生活を変えていこうと思いたちました。

先ず、ご飯の量を決めました。カレーやどんぶりを食べる時もご飯茶わんで測ることにしました。また、毎日やっていた寝酒を止めました。晩酌も毎日やっていたのですが、一週間の仕事を終えた金、土、日の3日間だけにしました。

毎日の生活の中に運動する機会を増やしました。いつも降りる駅より手前で降りて、そこから会社まで歩くことにしました。その頃は、会社が門前仲町にありましたので、金沢八景から京急に乗って都営浅草線の日本橋で降りて、永代橋を歩いて隅田川を渡って会社まで行くことにしました。20分位かかりましたが、乗り継ぎの時間もあるので、東西線の門前仲町からの正規のルートに比べても5分位の違いしかありませんでした。混んだ電車に乗ってイライラするより歩いた方が精神衛生上良いということも分かりました。

このルートは、景色が良くて、永代橋から両国の方を見ると正面にスカイツリーが良く見えます。毎日同じコースでは飽きるので、歩く道を変えていました。歩いているうちに、景色を見ながら歩くのが楽しみになりました。また、駅のエスカレータに乗るのを止めました。会社でも3階以内はエレベータに乗るのを止めました。

これを3年ぐらい続けましたら、知らないうちに体重も減ってメタボの検査にも引っかからなくなりました。体調も良く、医者にかかることも少なくなりました。苦手だった家の階段を上るのも苦にならなくなりました。散歩が好きになり、横須賀の各地で行われているウォーキングにも良く参加するようになりました。

還暦を過ぎましたが、この習慣は今でも続けています。過信は禁物ですが、メタボだった五十代より今の方が体力があるように感じます。これからも、無理をしないで続けていきたいと思います。

養生訓を読むと、貝原益軒は人生五十年と言われていた時代に、百歳まで生きようとしていたんですね。正徳四年(1714年)に享年八十五歳で亡くなっているんですが、まだまだ志半ばだったんですね。こんな辞世の句を残しています。

「越し方は一夜ばかりの心地して 八十あまりの夢をみしかな」

養生訓には、良いことが書いてありますが、同じようなことが繰り返し書かれていたりして読みにくいので、エッセンスだけまとめましたので参考にしてください。

【養生訓のエッセンス】

・人の身体は父母の残して下さった天地の賜であり大切にして天寿を保つ様に心がけねばならない。
・人間の寿命は百歳をもって上限とする。上寿は百歳、中寿は八十歳、下寿は六十歳とする。
・人生の三楽とは、道を行い善を楽しみ、健康で気持ちよく楽しみ、長生きして楽しむことである。
・心はたえずゆったりとして静かでせかせかしないで平穏であるがよい。
・毎日少しずつ体を動かして運動するのがよい。運動すれば痛い思いをせず楽にして健康を保てる。
・食事は腹八分目がよくて、腹いっぱい食べてはいけない。
・怒った後ですぐに食事をしてはいけない。また、食事のあとで怒ってはいけない。
・すべての食事はあっさりした薄味のものを好み、味濃く脂っこいものを多く食べてはいけない。
・大根は野菜の中でもっとも上等なものである。常に食べるが良い。
・酒は天から与えられた美禄だが各人に適量があり、程よく飲めば益が多く多飲すれば損失が多い。
・酒は無闇にすすめず、また遠慮しないで程よく酔って喜びを合わせて共に楽しむことが最も良い。

(文責;廣瀬隆夫 高25期)

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