▶ヨーロッパの鉄道

高22期 高橋揚一

<味わい残る街リスボン>
欧米の模倣で先進国となった日本。その陰で失われた暮らしがポルトガルには息づく。共同洗濯場や鰯を焼く光景は昭和の下町を思わせる。リスボンには天正遣欧少年使節の宿舎サン・ロッケ教会や、18世紀の地震で廃墟となったカルモ修道院や、テージョ川とサン・ジョルジェ城の間のアルファマ地区の古い街並など、風情ある史跡が集まる。

西のリスボンはトラムの宝庫ヨーロッパの中でも、東のウィーンとともにとりわけエキサイティング。路上駐車の多い狭い道を建物スレスレに電車が進む。複線が保てない区間では、上下線路を食い込ませたガントレット軌道を片側ずつ通行する。並行する道路に上下線路を振り分けた一方通行単線区間も多い。そのほか急坂を登るケーブル・トラムやサンタ・ジュスタのエレベーターなど、味わい深い魅力が随所に残っている。

<心躍るウィーンの電車>
ヨーロッパはトラムの宝庫。東のウィーンと西のリスボンはとりわけエキサイティングなトラムの双璧。赤白塗装の電車が道路中央や道路の端を走ったり公園を横切ったり、自由奔放に敷かれた軌道を行く。片側面ドア片運転台式の車両は、終着駅手前で街区を一周して進行方向を変える。ウィーン地方鉄道バーデン線の電車は、トラム路線をオペラ座脇まで乗り入れる。青とクリーム色の車両は両側面ドア両運転台式で座席はテーブル付。

地下鉄Uバーンに含まれるU6号線は多くが高架路線で、トラムと同じ架線式。19世紀末の高架駅舎が使われる。U1・U2・U4号線カールスプラッツ駅も19世紀末の駅舎で、U4号線ヒーツィンク駅には宮廷専用駅舎も保存されている。いずれもウィーンの景観を形成したオットー・ワーグナーの設計。シュピッテラウごみ焼却場などフンデルトヴァッサー設計の奇抜な建築物も街に彩を添える。

<モントルーからルツェルンへ>
レマン湖に面したフランス語圏モントルー。MOB鉄道の列車は国鉄モントルー駅ホームの上に敷かれた1m幅のメーターゲイジ線路から出発。シャレースタイル木造三角屋根の駅舎シャンビー駅では、ブロネイ・シャンビー鉄道のSL列車が入線。

ドイツ語圏に入りツヴァイジンメン駅で標準軌のSEZ鉄道に乗り換え。インターラーケン東駅はグリンデルワルトやユングフラウ・ヨッホ方面や、国鉄唯一メーターゲイジのブリューニッヒ線への乗り換え駅。ブリューニッヒ線ブリエンツ駅前では、ブリエンツ・ロートホルン鉄道の急勾配に合わせて台車を傾かせたミニSLが待機。歯車レールを伝ってロートホルン山頂まで小さな赤い客車を押し上げる。

ブリューニッヒ線はマイリンゲンでスイッチバックして歯車レール区間を進む。アルプナッハシュタット駅は世界一急勾配路線ピラトゥス登山鉄道の乗り換え駅。ルツェルン駅までの行程には多くの魅力が集まっている。

    ▶ヨーロッパの鉄道” に対して8件のコメントがあります。

    1. 山田茂雄 より:

      スイスのルッツェルン、オーストリアのウィーン、ポルトガルのリスボン、全て行ったところなので、楽しく街並みを拝見しました。また、高橋さんの作曲、編曲、演奏が音楽にマッチしていてすばらしいと思いながら楽しみました。   11期山田茂雄

      1. 高橋揚一 より:

        ご高聴とコメント有り難うございます。
        ヨーロッパの写真の多くは昭和のバブル期に撮影しました。
        リバーサルフィルムのスキャンですので芳しくない画質はご容赦願います。
        22期生は今年度古希を迎えています。
        先輩方も同輩も後輩の皆様もコロナに負けず末永く人生を楽しんでいこうではありませんか。
        高橋揚一(22期6組大西昭先生学級)

    2. 大鳥羽 裕太郎(22期6組大西昭先生学級) より:

      <作詞、作曲、編曲、演奏、撮影、制作>と、同期・同級である揚一さんの幅広い才能が創り
      出した素晴らしい作品群だと思います。小生が訪れたのはリスボンだけですが、忘れかけた
      想い出が揚一さんの音楽、文章、写真により鮮やかに蘇ってまいります。そして揚一さん作品
      群の底流に脈々と流れるのは強烈な「鉄ッチャン」魂ではないでしょうか。22期大鳥羽裕太郎

      1. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

        コメント有り難うございます。
        大鳥羽裕太郎君は、鉄道も音楽も心から分かち合える1年6組時代からの掛け替えのない友です。

        地下鉄や通勤路線などを除き、ヨーロッパのほとんどの鉄道路線は駅のホームが低く、列車に乗り込むには苦労します。しかし、大方は近くに居合わせた人が荷物を上げるのを手伝い、上からは手が差し伸べられます。誰の手も借りずに目的を果たせるような合理化はせずに、人々が手助けせざるを得ない環境を残し、子供の頃から気軽に手助けできる気質が育まれる結果となっているように思えます。
        イギリスやアイルランドの古い客車のドアは外側に開きます。走行中に触れて開くと危険なので内側には開閉レバーはありません。下車の際は、雨の日でも極寒の日でもドアの窓を開いて外側に腕を出して外側のレバーを回してドアを開きます。こんな面倒なことはぼんやりしたままではできません。指差し確認と同じようにドアを開く行為を体感できるので安全が保てます。

        目に見える手段(もの)を完璧に整えようとするのではなく、目的(こと)をいかに導くかを意図した生活志向の合理主義と言えるかも知れません。
        西洋の目に見える部分を追って西洋を凌駕したと錯覚した日本が見失ったことがヨーロッパには数多く残っています。日本では茶室の躙口や俳句や昭和の井戸端会議など古い時代や特殊な状況の中には見られますが、身近なところでは箸と茶碗で食事をすることくらいになってしまいました。

        ヨーロッパの鉄道には「Railroad」に増して「Railway」の魅力が窺えます。
        私は「鉄ッチャン」ではないつもりでいましたが、やはり「鉄ッチャン」なのでしょうかね。写真撮影に群がるのではなく「Railway」までも愛せるのが「鉄ッチャン」でしたらそれでも良いのですが。

    3. 石渡明美 より:

      とても楽しく拝見いたしました。
      数少ない海外旅行でスイス、ウィーンへ行きました。
      主人(21期)が鉄道ファンなので旅行はいつも鉄道目的です (⌒_⌒; 

      1. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

        コメント有り難うございます。
        ヨーロッパの鉄道の情報はまだまだ沢山ありますが、メロディがなかなか出てきません。
        次は既にできている昭和の横須賀や馬堀や京浜急行の曲を公開したいのですが、昔の写真が揃いません。
        写真をお持ちの方がおいでになりましたら、お貸しいただけると幸いです。
        よろしくお願い申し上げます。

        1. 石渡明美 より:

          主人に聞いてみましたら京急の写真なら探してくれそうです。
          マイペースなのでちょっとお時間かかるかもしれませんが、
          適当なのが見つかりましたらご連絡いたします。

          1. 高橋揚一(22期6組大西昭先生学級) より:

            有り難うございます。
            赤と黄色の塗装で正面3枚窓の左側に運転室があって右側は一番前までロングシートのある木造内装の電車や、四角い紺色で中に白い三角の特急浦賀行きの前サボや、学校裏駅や、レールの継ぎ目が左右交互の時代の線路や、東急車輛から逗子線に入る狭軌と標準軌の線路や、横須賀公郷駅や湘南井田駅の駅名表示や、3番線まであった浦賀駅や、終端ホームだった頃の品川駅や、馬堀海岸の京浜急行の海の家など、昭和30年代頃の写真があると助かります。
            京浜急行のほか、横須賀駅のB20や、DD12や、臨海公園の引き込み線や、横須賀駅前に停車している赤と緑のボンネットバスや、三浦交通のバスや、折りたたみ式の方向指示器や、横須賀中央の大通りの両端のロータリーや、三笠通りができる前の三笠銀座や、三笠園や、砲台が復活する前の水族館があった頃の戦艦三笠や、三笠に行く時に渡った木の橋や、さいか屋まんじゅう製造機や、だるま食堂や、あずきアイスの月ヶ瀬や、赤のれんのきりんの看板や、千日通りの30円のらーめん店や、ニューセントルイスの写真や、馬堀海岸の海の家や、馬堀海岸の桟橋や、馬堀海岸海水浴場の飛び込み台や、干潟の波紋や、海苔の養殖場や、地引網や、浜辺の凧揚げ風景なども探しています。
            上記はどれも歌詞に登場します。
            お持ちの方々には、ご協力お願いいたします。

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