記恩ヶ丘エッセイ
▶旧朋友会のHPは「記恩ヶ丘の会ホームページ」として健在です

旧朋友会のホームページ制作に携わっていた和田良平氏(高17期)より、朋友会の非公式ホームページ「記恩ヶ丘の会」のホームページに、横須賀高校八期会ホームページへのリンクを掲載して宜しいですか、との依頼を受け、初めて「記恩ヶ […]

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会からのお知らせ
▶記恩ヶ丘ホームページ誕生のお話

記恩ヶ丘ホームページは、みなさんのご協力により、毎日、200人近くの同窓生が訪れるWebサイトになりましたが、このホームページが出来るまでの経緯についてお話したいと思います。(高25期 廣瀬隆夫) 今から20年以上前、イ […]

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トーマス野口さん
▶100歳まで現役で働く トーマス野口さん(中32期)

横中、横高の同窓生のみなさんは、トーマス野口さんという方をご存知でしょうか。私は、名前だけは存じ上げていましたが、横須賀高校の先輩であることは知りませんでした。今回、「ハリウッド検視ファイル トーマス野口の遺言」という本 […]

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小川先生のエッセイ
▶母の祈り(小川省二先生)

二十七年前、私の母は九十四歳で亡くなった。母は利発ではあったが無学であり、文字もろくに読めない、ただただ優しい人であった。今年、その九十四歳に私もなった。 九十歳を過ぎ足腰が弱り、家から出られなくなった。その頃の母の一日 […]

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小川先生のエッセイ
▶I君のこと(小川省二先生)

六十半ばを過ぎた私の弟にI君という大学時代からの親友がいる。彼らの家族ぐるみの深い付き合いは四十年以上も続いている。 そのI君は学生の頃、月に一度は東京の下宿から横須賀の私の実家にやってきた。やって来ると一週間から十日は […]

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小川先生のエッセイ
▶ある不倫(小川省二先生)

鎌倉瑞泉寺の裏山に相模湾が一望できる東屋がある。私は若い頃、春の彼岸の中日、夕方いつもここにくることにしていた。この日、富士山の真上に夕日が降りる、それを見る為である。落日が頂上に近ずくと、白い富士の山肌が茜色に染まり日 […]

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小川先生のエッセイ
▶父の”お話”(小川省二先生)

私の父は、醸造業を営んでいて、時間に余裕のあったせいか、私の幼い頃からかなり成人するまで暇さえあれば"お話"をしてくれた。自分の子供の頃の話、田舎に伝わる昔話、父の父母のこと、友達のこと、小説、歌、相撲、絵、科学、落語、 […]

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小川先生のエッセイ
▶ある出会い(小川省二先生)

昭和三十二年秋、当時鎌倉に住んでいた私達夫婦が連れ立って、由比ガ浜通りを歩いていた時のことである。ゆるゆるとこちらに歩いてくる小柄な和服姿の老人と擦れ違った。擦れ違いざま立ち止まり気味に身体をねじると、そのギョロリとした […]

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小川先生のエッセイ
▶仰げば尊し(小川省二先生)

私の現役最後の年、その二月の初め頃であった。数人の三年生が校長室にやって来て 「僕達は卒業式委員会の者なのですが、本校で今まで卒業式の式次第に無い、仰げば尊しを今回歌いたいと思うのですが」 「それはいいね。では次の職員会 […]

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小川先生のエッセイ
▶先生は往生際が悪い(小川省二先生)

私は、終戦間もない昭和二十二年から18年間、横須賀高校で教壇に立っていました。ここは戦前の軍関係住民が多い土地柄であり、軍人遺族の子弟も多数おりました。その生活状態を物語るように、着任して数年間は在校生の半数ちかくが下駄 […]

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小川先生のエッセイ
▶教師の生きがい(小川省二先生)

昭和五十年に始まった日教組の主任制度反対闘争は田中角栄首相が「学校の先生はお気の毒だ。職場には一般教員と教頭、校長の三つの段階しかない」と言ったことが発端といわれている。首相は会社、官僚組織を見る目で教員の職場を見たので […]

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記恩ヶ丘エッセイ
東京オリンピック、1964(昭和39)年の思い出

現在、韓国の平昌(ぴょんちゃん)冬季オリンピックが開催され、日本選手もメダル獲得ラッシュで、大変盛り上がっています。テレビで選手たちの活躍を観戦しているうちに50年以上前の記憶が蘇ってきました。 1964(昭和39)年、 […]

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ITのお話
オープンソースと林檎の木

インターネットが普及していますが、その主要なソフトウエアの多くは、オープンソー スと呼ばれる誰でも自由にコピーして使うことが出来る無料のソフトウエアが使われています。今回は、少し専門的なコンピュータの話になります […]

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記恩ヶ丘エッセイ
イタリア人に学ぶ働き方改革

働き方改革と言われていますが、なかなか難しいですね。イタリア人の生き方に解決策のヒントがあるのではないかと思います。(高25期 廣瀬隆夫) 海外旅行好きの友人から、これからはイタリア人の生き方に学べと言われました。イタリ […]

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理系の話
街の本屋さんの危機とロングテールの法則

【昭和25年当時の平阪書房(平阪書房ホームページより)】 横須賀中央駅でバスを降りて平坂の中腹にあった平坂書房は、横高生にとって思い出に残る書店ではないかと思います。1階が一般書籍、2階が参考書売り場だったと思います。高 […]

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理系の話
三日坊主とクリティカルマス理論

クリティカルマスという言葉をご存知でしょうか?日本語に訳すと臨界量と言います。コップの中に水を、一滴ずつ入れていくと、表面張力で水面が膨らんでいき、ある時ドッと水が溢れ出します。その溢れる寸前の水の量をクリティカルマスと […]

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記恩ヶ丘エッセイ
私の健康法

私は、四十歳くらいから体力の衰えを感じて、五十歳くらいには家の階段を上るのさえつらくなっていました。というのも、体重が今より10キロほど重く、会社の定期健康診断では、メタボリックシンドロームというレッドカードが出されてい […]

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