▶三浦半島の古刹・浄楽寺と運慶

鎌倉時代の仏師、運慶については、夏目漱石の夢十夜の第六夜にも、丸太に埋まっている仁王像をノミで彫り出すという話が出てきますが、運慶の仏像は、今でも、観るものに800年の歴史を感じさせない驚きと感動を与えます。

運慶は、73歳で亡くなるまでに31体の仏像を彫ったと云われていますが、そのうちの5体が三浦半島の大楠山の麓にある浄楽寺というお寺にあるということを横高の同期から聞きました。

しかも、このお寺の住職は、横須賀高校の同期(高25期)の3組の土川浄信さんであったことも分かり、さらに驚きました。住職の土川さんは、残念ながら10年ほど前に亡くなられ、現在は、お嬢さんのご主人の土川憲弥さんが副住職としてお寺を経営されているということでした。

そこで、横高の同窓生の故土川浄信さんゆかりのお寺として、浄楽寺をご紹介したいと思います。副住職の土川憲弥さんに取材の申し入れをしましたらご快諾いただきましたので、お聞きした内容を掲載いたしました。(高25期 廣瀬隆夫 2017年12月10日)

・・・⇒ 浄楽寺はどんなお寺ですか?

浄楽寺は、横須賀市芦名(あしな)にある浄土宗の寺院で、正式には金剛山勝長寿院大御堂浄楽寺と言います。文治5年(1189年)に和田義盛が建立した寺と伝えられていますが、院号からもお分かりになるように、源頼朝が父・源義朝の菩提を弔うために創建された鎌倉にあった勝長寿院を、この地に移したという古文書も残っています。

和田義盛は、三浦義明の孫で、鎌倉幕府の初代の侍所別当を務めました。侍所別当とは鎌倉幕府の軍事・警察庁の長官のような役職でした。政治的感覚に優れ、行政的手腕も高く、性格は冷静で緻密、容易に人に乗ずることを許さない武将であったと云われています。一方、筆跡からは同族意識の強い、単純で感性で動く人柄でもあったと伝えられています。(⇒ 浄楽寺ホームページ)

浄楽寺

和田義盛

・・・⇒ 三浦義明は、横須賀高校の校歌にも衣笠城址と歌われている衣笠城の武将だった人ですね。

そうですね。三浦義明は衣笠城合戦に敗れ、松の木の下で自害したと言われています。横須賀市大矢部の衣笠十字路の近くの「腹切松公園」に史跡が設けられています。

・・・⇒ 横須賀高校の近くですね。

歩いて行ける距離ですね。また、浄楽寺の境内の墓地の中に、前島密(ひそか)の墓があります。密は郵便事業の基礎を確立した「郵便の父」として広く知られるほか、鉄道、海運、新聞、教育など多方面に功績を残した人物でした。晩年は浄楽寺の敷地内に別荘を作り「如々庵(じょじょあん)」と名づけて暮らしました。大正八年にこの地で85歳て亡くなりました。

前島密

・・・⇒ 郵政民営化を断行した小泉純一郎元首相(高12期)の出身地である横須賀の地に「郵便の父」と呼ばれる人が眠っていることは、歴史の綾の不思議さを感じますね。

・・・⇒ ところで、運慶はどんな仏師だったのでしょうか?

運慶は仏像を造る工人の本流である康朝の弟子の康慶の子として1150年(久安6)に生まれ、鎌倉時代に活躍した日本を代表する仏師です。 白鳳、天平時代の仏像を研究して独自の作風を切り開きました。

運慶の父である康慶の世代までは、奈良で活躍したことから「奈良仏師」と呼ばれていましたが、康慶から運慶、息子の湛慶 へと、「慶」の字を継ぐ仏師がつづくことから、その後は「慶派」と呼ばれるようになりました。

運慶の仏像の特徴は、それまでの仏像にはない生き生きとした表情や動きを表現したリアルさにあります。その肉付きのよい体躯は重量感に冨み、そこから力強さやエネルギーの強さが感じられます。このような圧倒的な量感が現れる運慶の作風は鎌倉幕府の武士の有力者たちに認められ、東国で多くの仏像を作ったことから、その実力が天下に知れ渡りました。

その後、院派・円派の本拠地京都にも進出して、1197(建久8)年、東寺の仏像修復を慶派一門で引き受けるなど、勢力を拡大していきます。そして1203(建仁3)年、奈良県東大寺南大門の金剛力力士像の製作の後、ついに仏師の最高位である法印にまで上りつめました。

運慶

・・・⇒ 運慶の仏像がなぜ浄楽寺にあるのですか?

1180(治承4)年に源平の争いが起こり、飢饉や疫病によってやせ細った人たちは仏教に救いを求めていました。浄楽寺に現存する阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)、不動明王立像、毘沙門天立像は、1189(文治5)年に、和田義盛が、当代随一の仏師と言われていた運慶に発注したものです。運慶は、発注者の和田義盛の思いや民衆の願いを受け止めて人びとが少しでも苦しみから解放されるように仏像を作りました。

浄楽寺の運慶の仏像は、大正15年に阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)のみ国指定の重要文化財となりました。その後、昭和34年仏像研究の久野健氏による調査が行われ、毘沙門天の胎内から木造月輪形の銘札が発見され、続いて不動明王の胎内にも同様の銘札が発見されました。三尊の胎内には同様の銘札は確認できませんでしたが、胎内に同様の筆跡で陀羅尼(お経)が墨書きされていたことで5体全てが運慶作の仏像であることが確実になりました。

運慶は、生涯31体の仏像を作ったと云われていますが、真作とされるものは17体で、そのうちの5体が浄楽寺の収蔵庫に安置されています。

阿弥陀三尊

不動明王

【勢至菩薩立像(侍像)】 観音菩薩とほぼ同形である。観音菩薩とともに極楽浄土の菩薩。木造寄木造。像高177.1cm

【阿弥陀如来坐像】 張りのある頬、厚い胸と、重量感がみなぎる。衣文の彫は深く、運慶仏の特色がうかがえる。彫眼のまなざしは強く、ひたと前を見つめる。印相は左右とも親指と人差し指を捻って来迎印を結ぶ。木造(主にひのき)、寄木造。光背、台座は江戸時代のものとされる。阿弥陀如来は極楽浄土の主尊。像高141.8cm

【観音菩薩立像(侍像)】 髻(もとどり)を高く結いあげ、やや腰を捻って立つ姿に動きをみる。 木造寄木造。像高178.8cm

【毘沙門天立像】 邪鬼を踏んだポーズは躍動感があり、引き締まった顔面はたくましく、鎌倉武士を想わせる。北方の守護神、福徳の神ともされる。 玉眼、木造寄木造。不動明王と同種の銘札が像内に入っていた。 像高140.5cm

【不動明王立像】 仏道を守るこの明王は力強さがみなぎり、憤怒の形相で、玉眼(水晶の目)が凄味を増す。像内には運慶作を裏付ける銘札が入っていた。 像高135.5cm

・・・⇒ 国の重要文化財の仏像の維持管理は大変でしょうね

800年前の人々の思いや、職人の息遣い、歴史という背景を映し出すその表情や躯体を観ながら、細かに、その時代の技術や思いを伝えている尊像を後世に伝えなければいけないと思っていました。そんな折、2011年3月11日に、多くの尊い命を奪った東日本大震災が起こりました。この地震の後に、収蔵庫の下に断層があることが判明し、危機意識がより一層、強くなりました。そこで、以前から考えていました地震対策及び経年による劣化の修繕を計画する運びとなりました。

これから先、江戸時代より檀家制度で成り立ってきた寺院も、人口の減少、都内への一極集中、寺離れなどの問題により地方のお寺から消滅していく可能性が高まりつつあります。しかし、そんな中でも、後の世に伝えるべき価値のあるものは寺の義務として残していく必要があると考えています。

そこで、今回、「浄楽寺収蔵庫内の修繕、免震工事」の費用を集めるためにクラウドファンディングを採用させていただきました。

・・・⇒ クラウドファンディングとは、どんなものですか?

クラウドファンディング(Crowdfunding)とは、不特定多数の人にインターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などをしていただくことです。クラウドファンディングは防災の復興や芸術への支援、スタートアップ企業への出資 、映画の製作など、幅広い分野で活用されています。

クラウドファンディングというと、新しいモノのように聞こえますが、仏教の世界では、「勧進」と呼ばれて、古くから寺院・仏像などの新造あるいは修復・再建のために浄財の寄付を求めることが行われていました。1180(承4)年の平氏政権による焼討によって灰燼に帰した東大寺を復興させた「大勧進」が有名です。

・・・⇒ 最先端のクラウドファンディングが日本古来の「勧進」とつながっているというのは驚きですね。ここで使われているクラウドは、クラウドサービスの雲(Cloud)という意味でなく、群衆の方のクラウド(Crowd)なんですね。

浄楽寺・収蔵庫改修プロジェクト(クラウドファンディング)

そうなんです。群衆というと語弊がありますが、檀家以外の方からも広くご協力をいただき、寺院の尊像を後世に残していきたいと考えています。「浄楽寺収蔵庫内の修繕、免震工事」でかかる総費用のうち一部を、クラウドファンディングでご支援いただいた金額を充てさせていただきたいと考えております。
詳しくは、下記の「浄楽寺・収蔵庫改修プロジェクト」のサイトをご覧ください。プロジェクトの受付は2018年1月24日23時59分までとなっております。
【浄楽寺・収蔵庫改修プロジェクトの概要】
https://www.jorakuji-jodoshu.com/blank-2
【クラウドファンディングのお申込み】
https://a-port.asahi.com/projects/jorakuji/

広く皆様のご協力をいただきたくお願い申し上げます。

・・・⇒ 本日は、お忙しいところ貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。最後に、横須賀高校の同窓生にメッセージがありましたらお願いします。

私は浄楽寺第66世として、この800年間さまざまな問題を乗り越えて現代にまで受け継がれてきたこの尊像、お寺を誇りに思っています。今、実物が自分の目の前にあるからこそ、その思いも文化も継承することができていると思っております。

国の文化財としても、浄楽寺本尊としても、もっと多くの方に末永くお参りしていただける環境づくりを実現したいと考えています。そのためには、多くの方のご協力が必要です。この先も時代を紡ぐ継承者の一人として、よろしくお願いいたします。

義父は、私が学生時代に亡くなっており面識がありませんが、こういった形で横須賀高校の同級生、同窓生の方々にご紹介いただき、ご縁をいただけるのは大変ありがたいことです。

みなさまの温かいお心遣いを末永く大切にさせていただきたいと思います。横須賀市芦名にお越しいただいた際は、ぜひ、当寺に足をお運びください。また、毎年3月に運慶の仏像のお戻り開帳がありますのでお越しください。

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