▶マンガ文化について(記恩ヶ丘マンガコーナーの提案)

初代の漫画世代と言われるのは高22期(1951年生まれ)の我々ではなく、すこし前、高17期(1946年生まれ)ぐらいでしょうか、鉄腕アトムが1952年から連載が始まったので、そのころ、5~6歳、マンガが読める年齢です。(高22期 伴野 明)

私はひらがなが読めるようになるとすぐマンガに嵌まりました。三軒先の家に前述の漫画世代の子がいて、彼が揃えたマンガがびっしり詰まった本棚があって、毎日勝手に上がり込んで読みふけったのです。特筆すべき鉄人28号が1956年からですから、私に合わせてくれたみたいです。

その影響は大きく、後で思うと私の人生の進路はその時決まったと言っても過言ではありません。鉄腕アトムは既にあり、他のマンガ、時代劇、戦争物、歴史物、科学もの、ギャグもあったかな。内容はあらゆる方向に及んでいて、世界観、善悪感など、自然に自分に浸みこんで行きました。例としては鉄腕アトムがちょっと反戦カラーが強かった。

もうひとつ思い出しました。少女マンガです。本屋には少女マンガも沢山あったようですが、私が読んでいたのはもちろん「月刊少年」です。私が小学3年の時の話、親が汐入町に八百屋の店を構えました。その店員にするため、八百屋の組合に声を掛けたのでしょう、ある日の昼頃、「集団就職」で、なんと中卒の女の子がまとめてウチに来たのです。名前も覚えています。「スエちゃん」、「カズちゃん」、「エッちゃん」、「フウちゃん」の四人でした。あとで聞いた話ですが、呼んだのは「カズちゃん」一人だけ、あとの三人はなぜか、付いてきてしまっただけのようでした。親父は新規開店で気合いが入っていたのでしょう、「全員面倒見る」と決まりました。

それからです、一部屋を女子部屋に決めて、その四人が寝起き。皆、元気いいから凄く賑やかでした。初めての給料が出た翌日、女子部屋には少女雑誌の山ができていました。キラキラした「ベルバラ」みたいな表紙の少女雑誌、「どんなマンガなんだろう?」と興味が出て読んでみました。予想通り、「王子様と少女の恋愛物」みたいなのが大半ですが、面白いのがありました。題名は覚えていませんが、「王女として生まれた少女が、貧乏な庶民に憧れて、お忍びで町に出てボロ家に住んで冒険をする」という発想のマンガでした。もしかしたらイギリスあたりの小説からネタを取ったのかもしれませんが、逆転の世界観が面白かった。

この記事を読んだら、高20~25期あたりのOGのみなさん、当時の少女雑誌の記事を記恩ヶ丘に投稿していただけませんか?

それからしばらくマンガとは縁がありませんでしたが、1975年ごろ、「嗚呼!!花の応援団」、あれには嵌まりました。ギャグの極致ですね。キャラが良い。薬痴寺が秀逸。もう少しして「ドラゴンボール」これにも嵌まりました。当時の少年ジャンプ全盛期の作品、どれも良かった。個々に書くと切りがありません。

ここでご提案ですが、記恩ヶ丘のマンガコーナーを作ったらどうでしょうか?「マンガの内容やキャラについて」だとNET上にはいくらでもサイトがあるでしょうから、それ以外に、マンガに絡んだ話題、例えば「マンガそのもののような事件があった」とか、「マンガを越えた人物がいる」とか、そんな話題も取り上げるコーナーがあったら面白いのでは? と思います。

    ▶マンガ文化について(記恩ヶ丘マンガコーナーの提案)” に対して1件のコメントがあります。

    1. 高25期 廣瀬 より:

      私も、マンガに夢中になっていた時期がありました。一時は、少年マガジン、少年サンデー、少年キングをすべて読んでいてバックナンバーも揃えていました。押し入れに、あまり詰め込み過ぎて底が抜けてしまい、父親に怒られたことを覚えています。毎週、マンガが発売される日になると真っ先に買って読み耽るのが楽しみでした。記恩ヶ丘マンガコーナー、良いですね。マンガに関する記事は盛り上がると思います。

      早速、「記恩ヶ丘マンガコーナー」を作りましたので、マンガに関する投稿をお願い致します。
      https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/category/manga/

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