▶とにかく「面白い」北里柴三郎の人柄と業績(高22期 高橋 克己)

またぞろ新型コロナウイルスの新株が出現して、「11波」が訪れつつあると報じられています。本稿はコロナ禍が本格化し始めた2020年3月に、感染症について学ぶべく図書館で借りて読んだ「北里柴三郎読本」(2013年 書肆心水刊)をもとに、北里柴三郎について5回に分けて「アゴラ」に寄稿したブログをご紹介します。詳しくは【リンク】をお読みください。(高22期 高橋克己)

北里研究所北里柴三郎記念博物館HPより

【その①リンク】https://agora-web.jp/archives/2044875.html
柴三郎の生い立ちから、肥後藩が新設した医学校でのオランダ医官マンスフェルトとの出会い、次に進んだ東京医学校での生活。内務省衛生局に入った経緯、留学したドイツでのコッホとの出会いがありました。

【その②リンク】https://agora-web.jp/archives/2044922.html
ドイツでの破傷風菌の純培養の様子、現地での森林太郎(鴎外)や後藤新平との邂逅、帰朝後に福沢諭吉の支援で伝染病研究所を設立しました。

【その③リンク】https://agora-web.jp/archives/2044955.html
ジフテリア血清療法の確立と香港でのペスト菌発見。今日、腺ペスト・肺ペストの人への感染経路は周知のことですが、彼の演説を読む限り、当時はその辺りがまだ判然としていなかったようです。

【その④リンク】https://agora-web.jp/archives/2044986.html
神戸のペスト騒動とエルザン論文、北里研究所設立の顛末、中浜東一郎との論争。ペスト菌の最初の発見者がアレクサンドル・エルザンとされた経緯やジョン万次郎の子息・中浜東一郎との後々まで続く論争は実に「面白い」。

【その⑤リンク】https://agora-web.jp/archives/2045077.html
最終回では、中浜への反論、学界の指導、その他の逸話と柴三郎の終焉についてまとめています。中浜との論争では、柴三郎の「剛毅果断」で「大の負けず嫌い」の性格が遺憾なく発揮されています。

北里研究所に関して、コロナ禍初期に話題になった「イベルメクチン」の発見・創製でノーベル賞を授かった大村智博士が、同剤のロイアルティーの多くを、大卒後に入所して後に所長になった同研究所に寄付していることが知られています。

自ら多くの業績を残しただけでなく多くの弟子をも育てた北里柴三郎、まさに日本が生んだ「感染症学の巨星」がこの7月から新千円札の顔として、日ごろ日本人の目に触れることになります。

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